医療従事者と残業代

本当に早いもので,今年もあと数時間でおしまいです。

今年も日々の業務に追われるばかりでなかなか記事の更新ができませんでした。

 

そんな中,今年は7月7日に最高裁で医師の残業代に関する重要な判例が出るなど医療従事者の労働問題については結構重要な1年になったのではないかと思います。

来年は,医療従事者の労働環境が健康保険制度を巻き込んで様々な議論を呼び起こすかもしれません。

今回は,この点について思ったことを書きたいと思います。

 

まず,先に挙げた7月7日の最高裁判決の内容について説明しますと,この事例では高額年俸(年俸1,700万円)が保障されている医師が残業代を請求できるかという点が問題となりました。

 

この点,1審と2審は,「残業代は年俸1,700万円の中に織り込み済み」という考えで医師側の請求を認めませんでした。

 

しかし,最高裁は「〔年俸1700万円の内訳について〕時間外労働等に対する割増賃金に当たる部分は明らかにされていなかった」ことから,「年俸について,通常の労働時間の賃金に当たる部分と割増賃金に当たる部分とを判別することはできない」ため,年俸の中に残業代は含まれてはいない。そうである以上,病院側は残業代を支払わなければならないとしました。

 

この「基本給と残業代の部分を明確に区別できない場合には固定残業代制は無効」という考えは,実は以前から固定残業代制の有効性を判断する際に用いられている判例上の基準でした。7月7日の最高裁判例は,この基準は高額年俸が保障されている医師の場合にも同様に適用されると判断した点で重要な意味がありました。

 

この最高裁の判決により,医師は広く残業代が請求できるようになる一方で,病院側としては医師に支払う残業代が青天井になるリスクが大きくなったといえます。その理由は次のとおりです。

 

まず,①当直勤務がある医師の場合,その当直時間の全てが残業時間とされ,その時間に対応した残業代を支払わなければならなくなる可能性があります。

なぜなら,医師の当直とは頻繁に誰かしらから呼び出しがあるものであり,その場合にはいつでも患者の元に駆けつけなければならない立場にあるからです。

このような場合,医師の当直時間は,仮にその医師が実際には仕事をしていなくても労働時間として扱われることになります(これを休憩時間と分けて「手待ち時間」といいます。)。

その結果,病院側は医師の当直時間について各種の割増賃金を支払わなければならないことになります(なお,当直制勤務については労働基準法41条3号という例外がありますが,これも簡単には適用できないため結局残業代の支払い義務を免れないケースが見受けられます。)。

 

また,②医師の場合,そもそもの基本給が高いため,割増率を乗じると一層残業代が高額化します。

 

さらに,③病院側で電子カルテが導入している場合,医師がカルテに書き込みを行った時間を改ざんすることは簡単ではありません。このような場合,医師側は労働時間を証明しやすいという特徴があります。

 

加えて,④病院が残業代訴訟で敗訴した場合,医師側は診療報酬請求権を差し押さえて残業代を回収することが可能です。この場合,病院側は単に残業代の支払わされるだけではなく,社会的にも大きく信用を失うことになります。

結果,病院側としては裁判で認められた残業代を実際に支払わざるを得ません。

 

以上のように,医師側から残業代を請求された場合,病院側は非常に大きな経済的負担と社会的制裁を強いられることになります。

 

ところで,残業代が問題になるのは何も医師だけではありません。看護師,薬剤師,理学療法士,作業療法士などの各種の医療従事者たちも,1日8時間,週40時間労働(一部小規模の医療機関だと週44時間)を超えれば残業代を請求できるのが基本です。

そのため,病院側はもし1件でも残業代トラブルを起こすと,次から次へと残業代の支払いに応じなければならないということになります。

 

したがって,医療従事者の残業代請求は,実は弁護士にとって結構な「鉱脈」になるのかなと考えています。

 

ただ,もし日本における全ての医療従事者たちの人件費を労働基準法の規定どおりに算出したとしたら,果たして日本の健康保険制度は維持できるのだろうか,という懸念は感じます。

なぜなら,現状,日本の医療従事者の方々が残業代を問題化しない理由は,他の職業に比べてまだしも安定した雇用が保障されているからに過ぎないと考えるからです。

 

そのため,今後日本の経済事情が暗転し,医療従事者たちの雇用の安定が脅かされた場合,その人たちは日々の生活の糧を確保するため,自らの切り札としての権利を行使する可能性は大いにあると考えます。この場合,残業代を求める医療従事者側と,その費用を健康保険料として負担する国民側との間では葛藤が生じることは免れません。

 

このような次第で,医療従事者の残業代問題は,健康保険制度全体をも揺るがす大問題になる可能性を秘めていると思います。しかも,その問題の火種は来年にも爆発するのではないかと考えたりするのです。

 

そんなときに,自分は何をできるのだろうか,そんなことを考えている年の瀬でした。

 

年末に物騒なことを書きましたが,次の一年も平和な時間になることを願うばかりです。

 

来年も当事務所をよろしくお願い申し上げます。

証拠の「強さ」と「固さ」

何と言っても裁判では出せる証拠で勝負が決まります。

もちろん相性のいい裁判官に巡り会うとか、弁護士の弁論能力が高いとかの要素も多少は裁判の行方を左右します。

しかし、証拠がなければ議論の土台すら作れません。

というのも、裁判官は

証拠で何が分かるか→分かった事実でどのような法律が適用できるか→法律を適用した結果どのような請求が認められるか

という思考で結論を出すからです。

 

日本の裁判では証拠は当事者が用意するのがルールとなっています。

裁判官が一方当事者だけに肩入れをすることは不公平になるからです。

そうなると当たり前ですが、「で、どういう証拠があればいいんですか?」という話になります。

 

それが分かれば誰も苦労しませんが、私自身が意識しているのは証拠の「強さ」と「固さ」です。

 

「強さ」とは、「その証拠で何を証明できるのか?」という視点です。

 

不貞慰謝料を例として、不貞相手が「私は●月●日にどこそこのホテル肉体関係をもちました。」と自白している場合を想定します。

この場合、不貞相手の自白が真実である限り、不貞関係があったということができます。

その意味で、この自白はそれだけで肉体関係の存在を証明できる「強い」証拠ということができます。

 

他方、夫が女性とラインで下ネタトークを繰り広げているという場合、そのラインのやり取りだけで直ちに肉体関係の存在を証明できるわけではありません。

この場合には、そのラインのやり取りが非常に頻繁であるとか、休日には必ずデートに行っているとか、キスをしている現場を目撃したなどの事情の兼ね合いがあって初めて肉体関係が認められます。

その意味でこのラインデータは不貞相手の自白に比べれば「弱い」証拠となります。

 

次に、証拠の「固さ」とは、その証拠の内容が時系列で役に立たなくなる可能性の大小の問題です。

 

先ほどの不貞慰謝料の例だと、確かに「私は●月●日にホテルどこそこで肉体関係をもちました。」という自白は、それが正しければ不貞は間違いなしということになります。

しかし、この自白は人間の言葉が情報源となっています。そして、人間の発言とは、いろいろな事情で内容がコロコロ変わるものです。

 

例えば、先の自白の場合、「いや、私はそんなことを言った記憶はない。」とか、「確かに不倫を認める発言をしたけれど、あれは奥さんから無理矢理言わされたんだ。」などの弁解が出てくることがあります。

この場合には、どのような経緯で自白をするに至ったかという経緯や、周囲の状況が問題となります。長時間にわたって問い詰めたり、自白しないと周囲に言いふらすといったような脅迫がある場合、その自白は記憶のとおりの発言なのかが怪しくなり、果たしてすぐに信用して良いだろうかということになります。

この意味で、この自白は「強い」けれども、固さでは「もろい」証拠となります。

 

他方、ラインデータの場合、そのデータは確かにその時間、そのような文言のやりとりがあったことはほぼ間違いないと言えます。

その意味で、このラインデータは自白に比べれば「弱い」けれども「固い」証拠だということができます。

 

このように、証拠は「強さ」と「固さ」の視点をもつと、その証拠がもつ価値の大きさが大体にしても分かってきます。

 

最近では、誰でもスマートフォンをもっているため、録音アプリで会話内容を保存することが簡単になっています。

そのため、今の時代「固い」証拠を残すことは、それほど難しいことではありません。

ですから、後は根気強く「強い」証拠が入手できるときを待てば良いということになります。

 

なお、録音データについては「そんな卑怯なものは証拠にするな」と反論されることがあります。

しかし、現在の世の中、自分からした会話の内容が録音されている可能性があることは、どこかの国会議員の「このハゲーーー」から始まるやり取りからも明らかです。

裁判所も、録音データに関して証拠から除外することはほとんどありません。

 

そういうわけで、このサイトをご覧になる方は、泣き寝入りをするくらいなら、じゃんじゃん証拠を残しておいてほしいと思います。

 

パワハラ案件で思うこと

早くも1年の4分の1が過ぎました。

ニュースでは入社式の話題が沢山でています。皆の若さがうらやましくなってきた今日この頃です。
そんな話題に水を差すわけではないですが、ここしばらくポツポツとパワハラの案件を扱うことが多いなあと感じています。

皆さま、パワハラと聞くとどういうことを思い浮かべるでしょうか?
最近だと電通が起こしてしまった痛ましい事件はパワハラの例の一つですね。

実はパワハラと言っても色々なパターンがあります。
電通の事件を例に出すと、
・長時間労働を強いる
・無理難題を強いる
・ミスを過剰に叱責する
・能力や人格を否定する
・企業単位での仲間外しや無視
なんかが典型例に当たります。

電通の事件は、パワハラ事件の一つの象徴ですが、世の中にはもっとスゴい企業もあります。
そのようなところは、これに加えて
・殴る蹴るの暴力を加える
・ミスに対して給料を減額する。罰金を科す
・明日から会社に来るなという。すぐにクビにする
・クビだとまずいので自主退職を迫る。
などの現象が起こります。
給与減額や罰金はセブンイレブンの件が記憶に新しいですね。

一番驚くのは、経営者が何の罪悪感もなくこういうことをしているということです。
というか、「労働者側が全部悪い!」という姿勢が圧倒的多数です。

もちろん、労働者側にもミスがあったり能力を十分に発揮できない場合もあります。
しかし、業務過程で一般的に生じがちなミス程度では懲戒も解雇もできません。
ところが、パワハラが横行している企業はそんなことはお構いなし。鼻紙を捨てるかのように簡単に労働者を捨てます。

そして、重要なのは、このような意識の希薄さが経営者自身に対して重大なリスクを伴っているということです。

つまり、労働者は労働基準法その他の法律でその地位や労働条件が保障されています。
それらの法律は、労働者が人間らしい生活を送る上で最低限必要な内容を定めたものです。
そのため、その違反については時に刑事罰という強烈な制裁を伴っています。

また、平時から企業側が労働法を守っているかは民事裁判の場合でも強い影響を与えます。

企業側は従業員を解雇したり、給与減額したりした理由についてあれこれ述べます。
しかし、解雇や給与減額は法律や判例上そんなに簡単にはできないことになっています。
そのため、コンプライアンスがちゃんとしている企業では、キチンと時間をかけて従業者の適性を見極め、
社内手続も慎重に行い、その上で初めてそのような不利益処分を下します。
そのような場合でも、いざ裁判になると「解雇はやりすぎ」となることは少なくありません。

逆に言うと、そういう社内手続がなかったり、当然用意できるはずの資料(就業規則や労働条件通知書、退職理由証明書など)がなかったりとなれば
それだけで裁判官からスジ悪と見られ、厳しい裁判の追行を強いられます。
裁判に負けた場合、企業側はその従業員の復職はもちろん、それまで未払となっている給料の支払も甘受しなければなりません。
「働いていないから払わない。」は通用しません。企業側都合で勤務させなかったのだから、企業側は給料の支払い義務を負います。

その金額は、数百万円にも上ることもあります。企業にとってはムダでしかないコストです。

経営者側は、裁判前だと「ウチにも顧問弁護士がいるんだゾ。」と強がってくることが多く、
労働者側はそのことに気を揉むことが多いのですが、実はそういうケースだと裁判所は経営者側に冷たいです。
逆に、労働者側の証拠が少ない場合でも、裁判所側で手心を加えてくれることも少なくありません。
(もちろん私の方で手を抜くわけではないですが。)
だから、こういう発言をするような経営者がいる事件を受けると、こっちの方が相手方弁護士に同情してしまいます。
顧問弁護士側からすれば、どうしてこうなるまで相談しなかったんだという気持ちなんじゃないでしょうか。

話を戻しますと、パワハラが問題になる事案では、大抵企業側が法律なんぞ知ったこっちゃねえとばかりに労働者に強烈なストレスを与えています。
結果、労働者は大抵、非常に情緒不安定になっており、強い不安と恐怖をもっています。
また、自己評価も低くなっているので、本当に自分の言い分が正しいのか、自分が悪いのではないかと逡巡されます。
このようなとき、どうエンパワーするか、ということはなかなか難しいです。

法律問題を超えたカウンセリング能力が求められます。
精神科医などによる診断と治療を強く勧めなければならないこともあります。

それでも時間をかければ、気力体力が戻ってきて、最後は自分の主張をきちんと示すことができるようになります。
もちろん、私も必要なアドバイスと見通しを説明しますが、やはり依頼者が自己決定できるというのは、
紛争を解決するに当たって非常に大事なことだと思っています。

パワハラの案件事件では企業側から一方的な主張を押しつけられて思い悩んでいる労働者が多いです。
なので、ご家族や友人の方は、もし少しでも様子がおかしかったら、声をかけていただければと思います。
できれば、医師や弁護士などの専門機関に行くよう勧めてください。

それで救われる人は多いですし、そういう草の根の活動によってブラック企業問題はより大きな社会的問題として共有されていきます。
そのことが、社会全体の活力を上げ、生産性を高めていくのだと思います。

DV被害をめぐる葛藤

早くも年末です。結局今年もあんまり更新できませんでした。

今年は昨年にもまして多くの相談をいただきました。地方の法曹需要を改めて体感しています。

本当はもっとスピーディに事件処理をしてより多くの相談を受けたいと思っておりますが、残念ながらなかなかキャパシティの問題は解決しません。

この点はもっと改善する方法を探さなければなりません。

 

話は変わりますが、私も弁護士である以上DVやモラハラの事案を取り扱うことが少なくありません。

というよりも、私が受ける離婚相談の半分くらいは程度の差はあれDVやモラハラが絡んでいます。

実はこの問題、深刻なケースがものすごく多い割に、できることが案外少なくてものすごく歯がゆく、腹立たしい思いをしています。

その問題にはいろいろなものがあります。

 

まず、被害者が自分のDVやモラハラの被害をさっぱり認識していないところから問題がスタートします。

第三者から見ればパートナーの言い分はめちゃくちゃで被害者はもっと怒っていいはずなのに、そうしない。

逆にパートナーからあれこれ言いくるめらてパートナーを許してしまうということが毎度のことのようにあります。

例えばこういうケースです。

その女性は10年くらい夫からのDVや暴言に耐えてきたけれど、とうとう我慢できなくなって家を出ることにした。

しかし夫からは「先にきちんと話合いをすべきだ。」とか、「俺がこんなに反省しているのに何が不満なのか。」と言われた。

女性は私に「家を飛び出してきた自分から離婚をしていいのでしょうか、夫から慰謝料を請求されませんか。」と相談した。

これに対して私は女性に対し、「そのお話が本当であれば離婚も慰謝料も請求できますよ。」とアドバイスする。

ところが女性は「いや、自分にも至らない点があった。」とか、「夫もたまには優しいことがある。」とパートナーをかばうことを言い出す。

私の方は「それはDV加害者やモラ男の典型的な手口ですよ。ご主人はそうやってあなたが自分から離れないようにしてるんです。」と説明する。

1時間も説得すれば、たいていの方は少し落ち着くけれども、中には頑として「自分が悪い。」と言って譲らない人もいる。

結局、その人は離婚の相談に来たのに最後には「一度夫と相談する。」と言って帰ってしまう。

こんなことが結構あります。

 

私としては、アメリカの心理カウンセラーや日本の臨床心理士の文献を紹介したり、類似のケースの取り上げるなどの工夫をしています。

特にアメリカの議論は非常に先進的で(日本が遅れてるだけですが)、これを引用紹介するだけでも相談者のDVへの理解や不安緩和に役立つことが多いです。

それでも、何割かの相談者はその場では離婚などは決めきらない、パートナーともう一度話し合うと言って帰ってしまいます。

私自身の力の限界とともに、DV事案における束縛の強さを思い知らされます。

 

次の問題としてはDVから逃げるための社会資源がさっぱり役に立たないという点です。

まずもって警察は役に立ちません。DVやモラハラ問題は密行性が高く犯罪性を現認できるケースは非常に少ない。そもそも被害認識が乏しい被害者自身がパートナーをかばってしまう。

そのような状況では警察が私生活に介入するということは現実問題として期待できません。

次に女性相談センターも役に立たない。霧島市からだと鹿児島にある女性相談センターはアクセスが悪すぎて緊急時に頼るには不便すぎます。

弁護士は相談はDV被害者への居住先を提供できないのでやはり役に立たない。

結局、被害者は逃げ場がないため、あきらめの境地で被害を甘受するという事態があります。

これは私の感覚としてもそうですが、内閣府の調査でも被害者の半数は相談せず、相談者のうち警察や相談センター、弁護士に相談するのは被害者の4パーセントしかいないそうです。

 

さらに、本当に情けないことですが、法律家という人種自体がDV問題に対して幼稚な認識しかもっていないという問題もあります。

まずもって被害者心理を分かっていない。「そんなに嫌ならどうして逃げないのか。」、「怒らせるようなことをするからそんなことになる。」、「夫(妻)側にも言い分がある。」などの言葉を平気で言います。

また、暴力を伴わないハラスメントに関しては「そんなに怖がる必要はない。」だとか、「あなたの気にしすぎが」などと言う。

素人なら単なる放言で許されるかもしれませんが、法律家にそんなことではいけない。

そんなことでは被害者は一層望みを薄くして相談に来なくなる。そうなれば加害者は一層図に乗ることにもなる。

だから法律家はまず何よりも被害者への受容と共感が必要なのです。

しかし、現実にはそれができていない。その最大の理由は、常識や法律家の直感とやらを信奉して被害者心理というものを体系的・学術的に勉強しようとしないからだと思います。

 

ハラスメントをとりまく加害者と被害者の心理は常識では計ることができません。

どうして被害者は逃げないのかと言うと、逃げられないからです。それは環境的に逃げることができないというものもありますし、加害者による被害者への心理的な束縛が見事だからというものもあります。

このあたりはアメリカの心理学者が書いた本なんかには新書や文庫レベルでも相当深い理解ができるものが多数あります。

そのため、ほんの少し、人間のパーソナリティに興味をもって本屋で新書なり文庫なりで知識を仕入れれば、DVをめぐる人間の心理や思考が常識と全然違うことなんて簡単に理解できます。

ところが現実は、法律家ほどアナクロニズムに満ちた人間観をもった職業はない。弁護士は当然だが裁判所もそうだったときは本当にがっかりします。法律は分かっても人間の心理は分からないのかと。それでよく事実認定できるものだと腹立たしくなります。

法律家という人間は温室育ちなので気が休まらない環境に何年も曝されることがもたらす負の影響というものが分からない。それは仕方ないにしても、そのことを本などを通じて勉強しようともしない。

自分は古くさい人間観しかないくせにそれを自覚せず他人には説教をするという人種が実に多い。

それではどうしてそういった知識を得ようとしないのかというと、一つには日本の心理学に全然権威がないからだと考えます。

 

心理学とは実はデータを重要視する優れて客観的な学問であり、少し入門書を読むだけでもいかに常識や直感というものが当てにならないのかを思い知らされ、本当に勉強になります。

だから本当は法律家は心理学の基礎くらいは勉強して客観的・科学的に人間の心理を捉える訓練をすることが望ましいのです。

しかし、万人が心理学やそれに類似する勉強をするわけではありません。特に日本という国は客観的なデータを軽んずる傾向が強い。

だからどうしてもプラグマティズムを大事にするアメリカに比べて心理学が浸透せず、直感に頼る古くさい人間観から脱却できないのです。

その結果、不利益を被るのは誰か。罪悪感を増幅させられ被害申告を躊躇する被害者です。

利益を受けるのは誰か。いつまでも増長し反省をしない加害者です。

そう考えたとき、私は自分の力の限界を悔しく思うとともに、自分の能力を過信して古典的な人間観しかもたない司法関係者が許せなくなります。

 

こんな記事を書いたのは、ここ最近DV問題に関しては進め方に行き詰まったり、腹立たしいことがあったりしたからでした。

司法関係者はいかに自分たちがおめでたい頭をしているのかを折に触れ恥じ入り、反省する必要があります。

 

そういう私自身も自己批判と研鑽を積みながら、人間の心理・思考の本質を理解できるよう努力していきたいと考えています。

生存権訴訟2回目期日のご報告

大変ご無沙汰しております。溝延です。

しばらく全くページを更新できなくなってしまい申し訳ありませんでした。

また,トップページにも書かせていただいたとおり,おかげさまをもちまして,現在多数のご依頼をいただいており,多忙を極めている状態となっております。

私としては,少しでも多くの方々の力になりたいと考えておりますが,現状ではこれ以上の新規受け入れは困難な状態となっております。

そのため,皆様におかれてはご不便をお掛けしますが,今しばらく時間をいただければと存じます。

 

さて,話は変わりますが,私は鹿児島県における生活保護基準引き下げに関する憲法違反訴訟の原告弁護団の一員を務めております。この訴訟が私が参加する唯一の弁護団事件です。

本日,その裁判における2回目の期日が開かれ,私も出席いたしました。

今回は市・国側から準備書面が提出され,国側の事情が一通り主張されました。

その文書のページ数たるや,実に80ページ超!!

正直,読むだけでも相当しんどくなりましたが,さすが司法官僚が作った文章だけあってなかなか隙を見せないシタタカな内容であるとの印象を受けました。

 

今回の裁判は,普通に収入を得て自活できている人には縁がない裁判です。また,一部報道があるように,生活保護利用者の方々が時として社会問題を引き起こしてしまうことは確かなことです。そのため,真面目に生活されている大多数の方々が生活保護制度に理不尽さを覚えることには,正直言って相当に理解できる部分があります。

しかし,生活保護を利用する方々というのは,大半が例えば病気であったり,怪我であったり,障害であったりなど,本人の意志によらないハンディキャップを抱えています。「人に歴史あり。」と言いますが,保護利用者に降りかかる人生の苦難は言葉にし難く,これが私だったら世の中を恨んでテロでも起こしてるレベルです。

そう考えると,慎ましく平穏に生活している保護利用者の方々には頭が下がる思いです。今回の訴訟で原告に参加されている方々は,皆,生活保護制度に深い感謝をされております。

 

日本国憲法は,そのような罪なき人々を漏らすことなく,文明国家日本の国民として自身と誇りをもてるだけの生活を,基本的人権として保障しました(もちろん,これは飽くまで理想であり,現実の社会ではフツウの感性なら色々な意味で眉をひそめる事案が多いです。)。生活保護とは,世界に誇る先進文明国家日本国の国民なら誰でも,最低限このくらいの文化的生活を送ってしかるべきだろうという全国民の理解のもと成り立っている制度です。

かつて奈良時代,聖武天皇の妻である光明皇后は悲田院・施薬院を設立し,貧民の救済に尽力したという話があります。現代日本では,国民全員の協力の下,そのような制度を常設し,かつ,維持しているわけであって,そう考えればこれは文明の一つの到達点であり,実に世界に誇るべき現象であると思います。

しかし,昨今は国の財政事情を理由に国民の社会的コストが増加し,それにもかかわらず公共サービスは向上しないということなどから,生活保護利用者に対する風当たりが強くなっております。

今回の裁判は,まさにそのような流れから生じた生活扶助費の大幅カットに対し,利用者の声なき声が呼び起こしたものでした。そのカットの割合たるや,実に平均で6.5パーセント!最大で10パーセント!!しかもこの保護費は現在進行形で削られているというのですから,利用者にとっては生きた心地がしません。

世間では消費税が8パーセントだの10パーセントだのにするだけで国民的議論になりますが,保護利用者は最後の命銭を,訳も分からない理由で削られ,それに対して文句が言えないというのです。

このことに対する理不尽な思いから,この裁判では全国で900人超もの利用者が原告として参加しております。

 

これに対する市・国側の反論としては,一言で言えば生活保護基準をどう決めようが最終的には厚生労働大臣だけが決められることなので,生活保護利用者にも裁判所にも不服をいう資格はないというものです。丁寧な言葉遣いで難解に書いてありますが,要はそれだけのことです。

実に,生活保護とは国家が社会的不適合者に与える恩恵的制度であるという視線が透けて見える主張です。実際,今回の減額処分は,一部は「有識者」,「専門家」,「第三者」の意見を取り入れつつ,残りの大半はその意見を聞きもしないで行われたものでした。今回の裁判では,この「第三者」の意見を「つまみぐい」,「良いとこどり」している点が最も強く追及されています。

これに対して,市・国側は,保護基準は厚生労働大臣が決めることなのだから,「有識者」,「専門家」,「第三者」に諮問するもしないのも大臣が決めて問題がないと言います。

しかし,かつて自分たちだkでは専門的で複雑すぎて保護基準が決められないと言って「第三者委員会」を作ったのは,紛れもなく旧厚生省であり厚生大臣だったわけです。

自分で判断できないからと言って「第三者委員会」を作ってそこに責任を押しつけておきながら,いざそこに諮問をしなかったことを追及されるやそこには法的拘束力がないというのは,マッチポンプとしか言いようがありません。

おそらく,今回の判断について厚生労働省・大臣は,「どうせ裁判所に憲法違反の判断なんかできやしないだろう。」という意識が透けて見えます。

事実,社会権をめぐる議論というのは何故か普段は憲法9条だとか戦争反対だとかやかましい護憲派も含めて議論したがりません。劣等市民の勝てない裁判のために議論するのは興味がそそらないのでしょうか。憲法上も行政法上も論点の宝庫であるのに,歯がゆい限りです。

繰り返しますが,生活保護・生存権は,日本国が自らを文明国・先進国と誇るために不可欠な制度です。全ての日本国民が自信と向上心をもてるよう国民同士で保障し合う制度です。貧民は一生うだつが上がらなくてよろしいというのは,いつの時代でもどこの国でも美徳とされません。

そのような観点から,日本国にあるべき生存権保障・生活保護基準の策定手続のあり方とは何か,という点を示し,何とか裁判所を説得して国民の権利救済に邁進したいと思います。

交通事故被害者は3度泣く(2)

引き続き交通事故についてです。

被害者にとって,治療費打ち切りの話は本当に突然に来ます。

本来,被害者からすれば相手がろくな運転をしないせいでケガを負わされたわけです。ですから,当人にとっては自分のケガが完治するまで加害者や加害者が加入している保険会社に治療費の面倒をみてもらいたいと考えます。当然のことだと思います。

しかし,事故の内容によっては,何ヶ月も病院に行っているけれどもこれ以上はどうもケガが良くなりそうにないと判断されてしまうことがあります。これがいわゆる「症状固定」といわれるものです。

一般的に,この「症状固定」までの期間は交通事故でのケガの大きさに比例して長くなります(例えば,同じ骨折といっても骨折のケースと複雑骨折のケースとでは回復までにかかる時間にも差が生じますし,後遺症が残る可能性にも違いがあります。また,その後遺症についても,どのくらい大きなものが残ってしまうかについては時間をかけて判断する必要があります。)。

そして,「症状固定」までの期間が長くなれば長くなるほど,被害者は受けたくもない治療を余儀なくされたり,仕事を休まされたりすることになります。

このことから,「症状固定」までの期間が長くなるにしたがって慰謝料や休業損害といった賠償額が大きくなるという関係があります(単純に両者が比例するわけではありません)。

繰り返しますが,ほとんどの被害者の方々は理不尽な交通事故のせいで長期間の治療を余儀なくされているわけですから,その期間や残った後遺症に見合った賠償を受けられる必要があります。

しかし,本当にごく一部ですが,治療期間が長くなるほど賠償額が大きくなると考え,不必要な治療を受け続けるケースがあることは否定できません。

そして保険会社は,このような「モラル・ハザード」のケースをことのほか警戒し,できる限り早く治療を切り上げさせ,「症状固定」の時期を早めようと圧力をかけます。

また,保険会社にとっては,「症状固定」の時期が早まれば,その分支払わなければならない賠償金・保険金が安く上がるということになり,保険会社のトクということにもなります。

ここで,できるだけきちんと治療を続けたい被害者側と,さっさと治療を打ち切って賠償金・保険金を節約したいと考える保険会社の利害が対立することになります。そのとばっちりとして,本当に真面目に治療を受けていた被害者がある日いきなり保険会社から治療費の打ち切りを宣告されるという苦杯を飲まされることになるということは,前回書いたとおりです。

次回は,被害者が流す3度目の涙として,「症状固定」までの期間の違いが慰謝料や休業損害にどのような影響を与えるか,また,いかに多くの被害者が理不尽な内容の示談案を押しつけられているかについて,専業主婦の方のケースを参考にしつつお話ししたいと思います。

交通事故被害者は3度泣く(1)

今回からは複数回に分けて交通事故に関して当事務所によく寄せられる不安や相談の内容についてお話しします。タイトルにあるとおり,交通事故の被害者は3度―事故にあったとき,治療をしているとき,損害賠償額を決めるとき―泣かされるというお話です。

最初の1回目についてはイメージしやすいことだと思いますが,交通事故の被害にあうと,それまで何でもなかった日常とうってかわって,怪我で身体は痛い,仕事ができなくて収入が入らない,これからどうなるんだろうと考えるなどして肉体的にも身体的にも大きなストレスを抱えることになります。

そのような中,被害者としてはまずは治療に専念して少しでも体調を良くすることを優先することになります。この場合,交通事故の相手方が任意保険に加入していて「一括払い」というサービスを利用することができる場合,被害者は窓口で医療費を支払うことなく治療を受けることができます。

この「一括払い」とは,任意保険会社が,被害者に対し,自賠責保険会社が負担すべき分も含めて被害者に交通事故で生じた損害の賠償金を支払い,その後,任意保険会社から自賠責保険会社に立替分の清算を求めるという前提で成り立っているサービスです。

そのため,被害者側は医療費の支払は相手方の保険会社に任せて自分は安心して治療に専念してゆっくり体調を回復させていけば良いということになるわけです・・・で終われば誰にとっても良い制度なのですが,実はこの段階で相手方の保険会社との間でトラブル―治療費の打ち切り問題―が起き,それで被害者側が泣かされるということがかなり多いのです。

このトラブルは次のことが原因となって起こります。つまり,傷害の場合における自賠責保険の保険金上限額は120万円であるところ,この金額を超えて被害者に損害が生じた場合,その部分は任意保険会社が負担しなければならなくなります。そのため,任意保険会社は自賠責会社から回収できる部分については割とすんなり治療費の支払を認めるものの,治療期間が長引いて自社からの手出しが見込まれるようになると途端に治療費の負担を渋るようになるのです。

被害者側からすれば,自分の治療がどのくらい続くのか,自分の体調は本当に良くなるのだろうかと不安が尽きない中でいきなり治療費の打ち切りを通知されるわけですから,大きく動揺してしまいます。そこで,治療費の打ち切りをめぐってはトラブルが生じやすいのです。

この点について,被害者の治療にどれくらいの時間がかかるかということは,医師が症状や治療経過を見極めてからでなければ判断することはできません。そのため,被害者としては医師から必要だと判断された治療は継続しても良いし,体調回復のためにはむしろ治療を継続すべきなのです。

それにもかかわらず保険会社から被害者に対して治療やめろオーラの圧力がかかるのは,自社の負担すべき損害賠償額を「適正」な範囲に抑えたいという任意保険会社側の意図があるからです。被害者が治療を継続することで,治療費以外の面でも保険会社の負担が増えるので,それを避けたいという心理があるからなのです。

確かに,必要もない治療のために漫然と治療費を負担し続けるということは,モラル・ハザードを招くものであって許されることではありません。

しかし,他方で正直な被害者が必要な治療も本来なら得られるはずの損害の賠償も受けられないというのであればそちらの方が余程大きな問題であると思います。そして,実際にそのような正直者の被害者の数は少なくないのです。

次回以降では,この治療費支払の打ち切り問題について,被害者の苦しみと本当に適正な損害賠償とは何かについて書いていきたいと思います。

労働事件の相談先は?(2)

前回に引き続き,労働事件に関して思うところを書かせていただきます。

当事務所では解雇や残業代などの問題を精力的に取り扱っています。その理由は,人々が安心して一日一日を過ごすためには,安定して仕事があり,安定して収入を得られる状態にあることが必要不可欠であるからと考えているからです。また,きちんと働いたことについてきちんとした給料で報いることは,単に労働者の生活を保障するだけにとどまらず,その人の人間性を評価し,自信をもたせ,結果として社会全体の生産性が高まるとも考えています。

しかし,鹿児島県は霧島市という地方の小さな法律事務所の弁護士として活動をしていると,これとは真逆の状態が平気でまかり通っています。その状態をまとめると,「毎日休日返上でサービス残業。ノルマを達成できなくて減給。パワハラセクハラは当たり前。不平を言えば即クビ。当然解雇予告手当は支払われない。社宅も追い出された。ハローワークに相談したら雇用保険は未加入だと言われた。預貯金はほとんどない。・・・明日からどうしよう。」というものです。

今の日本において,一般の方々にはそのような絵に描いたような「ブラック企業」は縁がない,例外的な存在だと思われているようです。これは政府レベルでも同様みたいで,政府や国会では多様な働き方を希望する人がいるという名目で派遣法を改正し,また,今後さらに労基法を改正して高度専門職制度というものを設けようとしています。この制度が成り立つためには「自分の仕事がみんなの役に立っている!時間に縛られないで一生懸命働いてたくさんの人にの役に立ちたい!それが自分の幸せなんだ!」と考えられるだけの自信と能力が必要になるはずだと思いますが,それほどの自信家が今の日本のサラリーマンの中にどれほどいるのだろう?と純粋に疑問に感じます。少なくとも私が見聞するのほとんどの事例は,ブラック企業で酷使された結果,自分に自信を失って後一歩で何かが壊れてしまいそうになっている人が登場します。

「ブラック企業」がもたらす悪影響は,今後ひたひたと国民全体の問題として迫ってくるでしょう。とうよりも,その問題はもう目の前に迫っています。

近時では子育て世代の貧困が徐々にクローズアップされていますが,この問題も子育て世代(特にシングル・マザー)が安定した身分で安定した給料を得られる仕事が非常に少ないという点が問題を大きくしています。正規雇用のアミから外れたこれらの人々には,「ブラック企業」であることを承知で仕事をし続けるという選択肢しか与えられません。その意味で,ブラック企業問題と子育て世代の貧困問題は密接にリンクしています。日本での終身雇用・年功序列賃金がもはや神話となった現在,これを抜本的に変更して,できるだけ多くの人々が安心して安定した収入を得て人間らしい生活ができる制度を作ることは極めて困難でしょう。

話が大分それましたが,私は政治家ではありません。そのため,私はこれらの問題についてどのようにすれば解決できるかという答えは持ち合わせていません。

私ができることは,当事務所に相談に来られた方々の悩みを聴き取るとともに,皆様に代わり,弁護士として堂々と法令上認められた権利を主張するだけです。しかし,それは非常に集中力を要する作業です。

労働法の保護から外された人々は生きるか死ぬかの問題を抱えます。そして徐々に自分に対する自信を失い,将来を考えることができなくなります。そのような中で,弁護士が辛抱強く,丁寧に相談者様の労働者として認められている権利の内容とその由来を説明します。最初は恐怖や不安で私の説明など理解することはできません。それでも,時間をかけて相談を重ねることでゆっくりと自分の意志を取り戻します。最後には,自分の労働者としての意見―自分は会社に残るにふさわしい,残業代をもらうだけの貢献をしている―をもつようになり,ようやく勤務先に対して法的請求を行えるようになります。

このような,本来あるべき法的請求をすることで,労働者はようやく自分が人間であることを思いだし,人生を再出発することに展望をもつことができるようになります。

以上のとおり,弁護士は社会のミクロの部分で解雇や残業代などの労働紛争を通じ,労働者の人格を回復させることができる唯一無二の資格であると考えています。一地方事務所の一弁護士でしかない私ができることは非常に限られています。しかし,個々の弁護士が労働者の一人一人に法的な救済を充てること,そして,その事例を集積させていくことが,本当に必要な労働法制の策定と,それによる社会内の生産力の増強をもたらすものであると信じています。

そのため,解雇・残業代その他労働に関する悩みをおもちのかたは,まずは当事務所まで御連絡いただければと思います。

最後に,ブラック企業の話ばかりしましたが,時折びっくりするほどホワイトな企業における事例を見聞することがあります。折を見てそのような事例が人々や社会にもたらす影響についても記載したいと思います。

労働事件の相談先は?

当地で事務所を始めて以来,特に労働者側の立場で労働関係の相談を受けることが増えました。

また,弁護士ドットコムの「みんなの法律相談」においても,労働関係の相談は多く寄せられています。

その中で,私が特徴的だなと思った点が2つあります。

1つは,大抵の相談者が,弁護士事務所に来られる前に労働基準監督署へ相談に行っているという点です。

2つ目は,相談者の期待に反して労基署があまり熱心に活動してくれないという点に不満をもたれる方が多いという点です。

このことは,以下の2つの理由から生じる現象と思われます。

まず第1に,労基署は行政の機関であって,私人間の個別の紛争を処理する役割はないということをほとんどの方が知らないという理由です。

労基署は,労働基準法その他の法令違反があった場合には警察と同様に強制的な捜査ができる権限をもっています。しかし,そのような権限は飽くまで犯罪の検挙し,公益を守るために行われるものです。基本的に労基署は相談者個人のために企業と闘って未払賃料を請求したり解雇無効を主張したりできる立場にはありません。警察の「民事不介入」の考え方が労基署にも当てはまるわけです。

これは,労基署に求められる役割からすれば当然であり,やむを得ないところです。ただ,相談者にとっては労基署は労働者の味方だと思って相談に行かれるわけで,そこで知る労基署の能力の限界には大きく落胆をさせられます。

ここで,第2の問題として,それでは相談者はどこに相談に行けばいいのか?という点です。この問題は第1のそれよりもはるかに大きな問題です。

本来であれば,ここで「弁護士事務所です!」と自信満々に言えればいいわけですが,現実はそうはいきません。

なぜなら,相談者には弁護士に相談をするという発想が抱けないからです。

相談者の皆様は,大抵,まずは会社と直接交渉→労基署に相談→弁護士に相談,というプロセスを経られて法律事務所にたどり着かれます。そして,弁護士に相談に来られるまで,相談者はひとりで会社の勝手な言い分と闘わなければなりません。悩んだ末にたどり着いた労基署でも問題が解決できないとなって,それでも納得できないと気力を奮い立たせて,ようやく「弁護士に相談しよう!」という発想となるわけです。

逆に言えば,この過程で気力が尽きて諦めてしまうという方々もいらっしゃいます。そして,その数は弁護士に相談に来られる方よりもはるかに多いはずです。

こうして,「ブラック企業」は今日も元気に活動し,その裏で多くの労働者が涙を飲まされるという状況が許されてしまっています。

では,なぜ「弁護士に相談する」という発想を抱けないのか?

やはり弁護士側から国民に向けてのアピールが全般的に弱いからだと思われます。

ではどうすれば国民全体へのアピールができるのか?

残念ながら今の私の頭では画期的なアイディアは思い浮かびません。

弁護士による広告規制が緩和されてから大分経ちますが,テレビやラジオで労働事件をCMするというのは聞いたことがありません。一時は未払賃金事件が過払い金事件に取って代わるという話がありましたが,現在のところはそうはなっていません。

広告で宣伝されるのは,今でも過払い案件か,せいぜい交通事故案件くらいでしょう。労働事件はどうしても定型的に処理できない部分があるため,コストに見合った利益が出せないのだと思います。

弁護士会などは時折市民向けに無料法律相談会などを開きますが,国民への訴求力は大きくありません。

ワタミの過労死事件のように,大きな事件であればインパクトも大きいですが,あれは極端な事例だからニュースになったのであって,どれほどの方が現実感をもってあの事件を受け取ったかは分からないところがあります。

結局,現時点では個別の弁護士の正義感に期待してアピールするということくらいしか方法はないということでしょうか。

現在は,弁護士が大きく増えている時代ですので,あるいはこうしたアピールの数も多くなるかも知れません。

弁護士全体としては,パイが限られている事件の取り合いで疲弊していくのは苦しいところです。しかし,それで新しく事件が発掘できれば最終的には国民全体の利益にもかなうのかもしれません。

地方の一弁護士でしかない私には,いずれそうなることを期待しながら,依頼を受けた一件一件を適切に処理していくことで,依頼者と市民の信頼を獲得していくことしかできません。

ただ,そのことを通じて少しでも国民の一人一人が「弁護士に相談する」という発想をもっていただければありがたいと思っています。

大晦日を迎えて

ここしばらくさっぱり更新ができなくて申し訳ありませんでした。

おかげさまで,当事務所は開所1年を何とかクリアできそうでホッとしています。

 

こうして無事に新年を間近にして思い返すと,今年は本当にあっという間にすぎた1年でした。

私個人としては大変忙しいでしたが,依頼者の皆様から直接お話を伺うことができたことは実に貴重な1年でした。

それと同時に,弁護士とは目の前の現実に悩む人々の声を聞き,顔を見て,少しだけでも希望をかなえることができるという仕事なのだと実感した1年でした。

これもひとえに私を信頼してくださった皆様のおかげであったと感謝しております。

来年も弁護士として何ができるかを自問自答しながら皆様の基本的人権を保障するために邁進していきたいと思います。

 

特に,今月は生活保護基準引き下げの違憲訴訟に原告訴訟代理人の一員として参加させていただくことができ,今後の弁護士人生にとっての貴重な一里塚になりました。私の故郷である鹿児島で,このような国民一人一人の生活に直結する訴訟に関与することができるのは,私の人生にとって無上の喜びです。

この訴訟については,頭の裁判所を説得する意味でも,国民の皆様に訴訟の意義を理解していただく意味でも,非常に長く険しい道のりとなりますが,貧困というそこにある現実で苦しむ方々の生々しい現実を理解していただくべく努力して参りたいと思います。

 

また,本年はいわゆる「ブラック企業」とは何かを垣間見ることができた年でした。

私とほぼ同じ年代の方々が「ブラック企業」に就職し,そこで良いように使い倒され,最後には人生で一番大切な時間をつぶされた,そのような不条理に憤った1年であり,それと同時に,そのような方々がなかなか弁護士に相談に来ることができないという現実に非常にもどかしさを感じた1年でした。

 

来年は,私自身もより法律専門家としての自覚をもって知識とスキルを習得していくとともに,一国民として皆様の抱える悩みに真摯に耳を傾けて参りたいと考えております。それと同時に,悩みを持たれる方々により身近に弁護士という存在を知っていただくために何ができるのかということを問い続けて参りたいと思います。

 

このように色々とご託を並べて参りましたが,来年も自分にできることを精一杯やり遂げて参りたいと思いますので,皆々様におかれても何卒御協力のほどよろしくお願い申し上げます。