その固定残業代、大丈夫ですか2

 今回は前回に引き続き固定残業代制をテーマとしてその有効性が認められない可能性が高いパターンをさらに2つ紹介します。
 以前にも触れましたが、固定残業代制が無効と判断されてしまった場合、使用者は基本給に固定残業代分を合算した金額で計算し直した残業代を満額労働者に支払わなければならなくなります。その場合、残業代が数百万円に上ってしまうということも珍しくありません(この現象を「残業代のダブルパンチ」ということがあります。)。
 そのため、どのような場合に固定残業代制が無効となるかを知っておくことは、労働者にとっては長時間残業から自らの身を守る観点から、また、使用者にとっては自身の経営上のリスクを把握する観点から非常に重要となります。
 前置きが長くなりましたが、以下、固定残業代が無効となる可能性が高いパターンについて説明いたします。

タイプ1:就業規則不備型

 1つ目は労働契約書に「基本給20万円、職務手当10万円(1か月30時間分の時間外手当を含む)」などと書いているにもかかわらず、就業規則で固定残業代に関する説明を何もしていないというパターンです。
 このような就業規則の場合、「職務手当」については管理職といった肩書き・職責に対して支払われる対価であると評価されてしまう可能性が高いです。そのため、裁判所は「残業代としては労働者には1円も支払われていない。したがって使用者は残業代を全額支払うべし。」と判断することになります。
 なお、このパターンでは使用者側から「就業規則の規定とは別に労使間の合意で固定残業代制を採用していた。したがって固定残業代制は有効である。」と主張されることがあります。
 しかし、就業規則よりも不利な内容の合意は労働契約法12条により無効と扱われるため、この弁解が通用することはほとんど考えられないと思っておくべきです。

タイプ2:基本給切り下げ型

 2つ目は例えば「基本給30万円」であったものを「基本給20万円、定額時間外手当10万円(1か月30時間分の時間外手当に相当)」へと変更するパターンです。
 この場合、一見すると労働者側が得る給与の額面は月額30万円から変化がないようにも見えます。しかし、前者では割増賃金の計算の基礎となる賃金が月額30万円であるのに対し、後者ではこれが月額20万円となります。
 その結果、労働者にとっては同じ残業時間でも自身が得られる残業代が少なくなってしまうこととなります。
 この点について、労働契約法8条は労使の合意で労働契約の内容を変更できる旨定めています。しかし、賃金や労働時間といった労働者の生活に直結する労働条件の変更については労働者が真意から当該合意に同意することが必要とされています。そして、その同意の有無については、そのような同意をすることが客観的に見て(つまり第三者目線から見て)合理的であるといえるか否かによって判断することとされています。そのため、実際にはこの労使間の「合意」が認められるケースはそれほど多くはありません。
 特に、このパターンでの労働条件の変更内容は、単に労働者の残業代が削られるだけとなっている点で労働者側に一方的に不利なものとなっています。そして、労働者がそのような労働条件の変更に応じなければならない合理的な理由が客観的に存在すると評価されることはまず想定できません。
 そのため、こうした固定残業代の定め方は無効となる可能性が極めて高いです。

補足:固定残業代制は導入しにくい

 そもそものところ、固定残業代制は非常に導入しにくい制度です。
 まず、常時10人以上の労働者を使用する事業場では労働基準法89条により就業規則の作成義務が課せられています。そのため、ある程度の規模以上の事業所では従前から作成されていた就業規則があるはずです。
 しかし、その就業規則が最初から固定残業代制について定めていたという場合は少ないでしょう。そうすると、そのような使用者が新規に固定残業代制を導入するには既存の就業規則を変更する手続をとることが必要となります。
 ところが、就業規則の変更はそう簡単にはできません。というのも、労働契約法10条は、就業規則を変更するための要件として、変更後の就業規則が「労働者の受ける不利益の程度」、「労働条件の変更の必要性」、「変更後の就業規則の内容の相当性」などといった点から見て合理的であることを要求しているからです(労働者の合意がある場合は話が別になりますが、この合意が簡単には認められないことは先に書いたとおりです。)。
 ここで、固定残業代制は、たいていの場合、従来の就業規則が定める計算よりも労働者の賃金額が低くなる点で労働者に大きな不利益が生じます。また、変更後の就業規則において想定される労働時間が従来よりも長時間化してしまう点でも労働者には大きな不利益が生じるといえます。そのため、固定残業代制の導入に当たりこのような不利益を超越するほどの必要性や相当性が認められるケースというのは想定しにくいです。
 このことから、固定残業代制を導入するために就業規則を変更するとしても、労働契約法10条の要件を満たさないため無効となってしまう危険が大きいこととなります。
 そのため、既存の就業規則がある場合に新たに固定残業代を導入することは非常に困難です。
 これに対し、たとえば「基本給30万円」から「基本給30万円、定額時間外手当10万円(1か月20時間分の時間外手当に相当)」という形で固定残業代制を導入すれば有効となる余地も多少は広がるかもしれません。しかし、このような固定残業代制を採用した場合、使用者は人件費の増大という別の経営的リスクを抱えることとなります。
 結局、新規に固定残業代制を導入しようとすれば使用者は法律的にも経営判断的にも大きなリスクを覚悟しなければならないのです。

最後に:固定残業代制がはらむリスクに理解を

 以上のように、固定残業代制には労働条件の不利益変更という問題がつきまとうことため、個別労働者からの合意という方法をとるにしても、就業規則の変更をとるにしても、適切な代償措置を講じるなどの手当をしない限り裁判手続で効力が否定されてしまうリスクがあります。
 そのため、使用者の皆様におかれてはくれぐれも安易な考えでこの制度を導入しようとは考えないでいただければと思います。
 今回も最後まで読んでいただきありがとうございました。

その固定残業代、大丈夫ですか?

1 固定残業代制とは

 私が労働問題の相談を受けておりますと固定残業代制を採用している求人情報に接することがよくあります。
 固定残業代制とは、要するに給与の中に予め残業代を組み込んでおく制度です。法律上明確な根拠がある制度ではありません。
 固定残業代制は求人の際に給与額が高く見せられることや残業時間の管理が楽になるといった理由から結構な頻度で導入されている制度です。
 かつては給与の中に残業代を全て組み込んだり、「給与 月額30万円(40時間分の残業代を含む)」などの表記をしたりする固定残業代制度が横行していました。
 しかし、現在は判例の蓄積により固定残業代制度が有効になる場合がかなり制限されるようになりました(具体的には基本給とそれ以外の手当が判別可能であり、かつ、その手当が職責・肩書きなどへの対価ではなく残業に対する対価として支払われることが必要とされています。)。
 また、現在の職業安定法ではハローワークで固定残業代制度による求人を行う場合、あらかじめ求人票に基本給と残業代の内訳を示した上でその残業代が何時間分の残業代かであることも明らかにする必要があることとされています。
 これらの司法と立法による手当の結果、最近は昔ほど露骨に違法な固定残業代制度の求人を見ることは少なくなりました。
 とはいえ、違法な固定残業代制度が全くなくなったわけではありません。
 最近のトレンドは「基本給12万円、固定残業代18万円(時間外労働80時間分を含む)」というように、基本給を極力少なくしてその分だけみなし残業時間を増やす方法です。
 しかし、最近になってこのような手法にも司法上のメスが入りました。以下ではその判例を紹介します。

2 イクヌーザ事件判決

 イクヌーザ事件(東京高判平成30年10月4日)は、使用者が労働者との間で給与23万円、そのうち8万8000円を月間80時間の時間外勤務に対する割増賃金とする旨定めた雇用契約を締結し、実際に労働者が月80時間以上の時間外労働を行った際には8万8000円とは別に基本給14万2000円を基礎として計算された残業代を支払っていたというケースにおいて、基本給14万2000円ではなく23万円で計算された残業代を請求できるかが問題となった事例です(実際には昇給により基本給と固定残業代が増額していますが割愛します。)。
 この点について、裁判所は給与総額23万円は基本給14万2000円と固定残業代8万8000円に判別でき、しかも、8万8000円は残業に対する対価であると認定しました。そうすると、この固定残業代は従来の判例で求められる要件を満たし有効となるように思われます。
 しかし、裁判所は固定残業代制度が想定する「1か月80時間」というみなし残業時間の長さを理由にこの固定残業代制度を無効と判断しました。
 裁判所の判断枠組みをざっくりと説明すると、使用者側が80時間分の固定残業代を定めるているのは労働者に対して恒常的に1か月当たり80時間前後の長時間労働を強いることを前提としているからである。そして、1か月80時間という残業時間は労働者の健康を損なう危険がある(この1か月80時間という残業時間は「過労死ライン」と言われています。)。したがって、そのような長時間労働を前提とする固定残業代制は公序良俗に反するため無効である。というものです。
 なお、使用者側は、仮に8万8000円という固定残業代は80時間分の固定残業代としては無効であるとしても45時間分の固定残業代としては有効ではないかと主張しました。
 しかし、裁判所はこのような使用者側の主張を認めませんでした。その理由として、裁判所はそのような取扱いを許すことで『とりあえずできるだけ長時間の固定残業代の定めをしておいて、裁判に負けたときに残った残業手当を支払えばよい』との風潮を助長するからだと述べています。
 この結果、裁判所は労働者側が主張したとおり、給与23万円全額を基礎に計算された残業代の請求を認めました。

3 固定残業代にはデメリットしかない

 以上のとおり近時固定残業代のトレンドになっていた「基本給を極力下げ、みなし残業時間を極力延ばす」という手法は判例により否定されました。このことから、今後も同様の訴訟が続く可能性も否定できません。
 そのため、もし使用者側においてこのような固定残業代の定め方をしているとすれば、今からでも制度の内容を変更しておく必要があるかと思われます。もし、制度を変更しないまま労働者から訴訟を起こされると、残業代の支払いの事実を否定された上、さらに固定残業代部分も基本給に含めて残業代を再計算されてしまいます。つまり、使用者側は増額された残業代を丸々支払わなければならなくなるというわけであり、その経営的なダメージは計り知れません。この意味で、私は固定残業代制を全くお勧めしておりません。

4 最後に:労働基準法の遵守こそが最高の防御手段

 そもそも、労働基準法は1日8時間・1週間40時間労働を大原則とし、残業についてはごく例外的にしか認めないという姿勢をとっています。それは長時間労働が労働者の心身の健康を損ない、ひいてはその生命を奪う危険まであるからです。
 これに対し、固定残業代制度は恒常的に残業があることを前提とする制度です。そして、働き方改革が叫ばれる昨今では、この制度を採用すること自体が「ブラック企業」の烙印を押されるリスクの原因となります。
 きれい事かもしれませんが、使用者の最大の防御は労働基準法の労働時間規制を遵守し、残業は極力認めないという意識をもつことに尽きます。
 私としては、このイクヌーザ事件判決を通じて昨今の固定残業代制度の内情と危険性を知っていただき、労使ともに少しでも残業時間の減少につなげていただければと思います。
 今回も最後までお読みいただきありがとうございました。

カネカ炎上事件、弁護士はどう見たか

 今回、「夫が育休から復帰後2日で、関西への転勤辞令が出た。引っ越したばかりで子どもは来月入園」というケースがインターネット上で炎上しています。
 今回のケースでは転勤命令がもつあらゆる問題が噴出した事例であり、今後も同様の事例が出てくるのではないかと思われます。
 そこで、この記事では法律的に転勤問題がどのように取り扱われているかを説明したいと思います。

従来:転勤命令は企業の裁量とされてきた

 実のところ、企業は従業員の転勤命令について非常に大きな裁量をもっています。
 これは、日本において通用してきた年功序列・終身雇用という雇用形態と大いに関係があるとされています。
 まず、年功序列という側面から見た場合、企業は新卒一括採用した従業員に様々な場所で様々な業務を経験させてキャリアを形成させようとします。このことから、日本では優秀な従業員ほどたくさん転勤するよう期待されることとなります。
 次に、終身雇用という側面から見た場合、転勤は雇用の調整手段として便利な方法となります。というのも、日本では企業の業績が悪化した場合でも直ちには従業員を解雇ができず、リストラ(整理解雇)に先だって解雇回避の努力をすべきとされているからです。そこで、日本企業においてはある部署の余剰人員を他部署に配置転換するという形で人件費の上昇の防止を試みてきたとされています。
 このように、終身雇用・年功序列という雇用形態が続いてきた日本の雇用制度においては、転勤は社内の人材活用のために必要かつ有効な手段であるため、企業は従業員の転勤について非常に大きな裁量をもっているとされてきました。
 実際、転勤命令の有効性についてリーディングケースとなった最高裁の判例に「東亜ペイント事件」というものがありますが、同判例は原則として転勤命令は企業側の権利であり、例外的に①企業側における業務上の必要性がない場合、②転勤命令が不当な動機・目的による場合、③当該転勤により労働者側に通常甘受すべき程度を著しく越える不利益が生じる場合などに限って転勤命令が無効になるに止まるとしました。
 しかし、①日本型雇用慣行が成立している企業で転勤の必要性がないということはそうそう立証できないですし、②不当な動機・目的という内心を立証することも非常に難しいです。そうすると、転勤命令の有効性を争う場合、主要な争点は③労働者側の不利益の有無・程度となりますが、ここでも労働者が受ける転勤に受ける不利益については「通常甘受すべき程度」を「著しく超える」ものが必要とされているため、転勤命令の有効性を争うことは難しいとされてきました。
 以上より、過去の判例や慣習によれば企業は自社の従業員をどこに配属するかについて非常に広い裁量をもっているとされています。
 今回のカネカは、こうした過去の判例や慣習の意識を今に引きずったまま漫然と転勤命令を下してしまったのではないかと思われるふしがあります。

現在:企業の裁量は狭まってきている

 それでは、現在という時代においても企業側は昔と同じ感覚で従業員を自由に転勤させられるものでしょうか。この点については、「既にそういう時代ではない。」というべきです。
 そもそも企業が転勤命令に大きな裁量をもっていた理由は、年功序列・終身雇用という日本特有の雇用慣行にありました。先に挙げた東亜ペイント事件の最高裁判決も昭和61年という古い時代に下された判決です。したがって、時代背景が変われば判例の解釈にも変更が求められることになります。
 この点について、最近では経団連やトヨタといった大きな組織・企業のトップでさえも年功序列・終身雇用は維持できないと言及するに至っています。
 このように、企業側自身が過去の日本の雇用慣行が変容していっていることを認めているという現在という時代では、転勤命令ができる余地は自ずから狭まらざるを得ません。具体的には、現在では①転勤命令の必要性という要素が企業側にとって厳しく評価されることになると思われます。
 もう1つ、さらにもっと大きな時代の変化があります。それは少子高齢化です。今の日本において国民たちは安心して育児と介護に取り組める環境を切に希望しています。この要望を受け、法制度上も育児介護休業法などが成立し、改正が続けられています。
 そのような時代ですから、企業側は昔のような感覚で好き勝手に従業員を転勤させることなど許されません。まずは転勤の候補となる従業員の家族構成などや生活環境などを把握の上、従業員自身の意向も確認し、転勤が従業員の生活に大きな負担を与えないかにつき適切に配慮すべきことが求められることとなります。要するに、上記の③従業員側の不利益という要素で転勤命令が無効になる余地が大きくなっているといえます。
 実際、下級審レベルでは③の要素を理由に転勤命令を無効とした事例も見受けられます。
 以上のように、転勤命令については時代や社会の変化に伴い昔ほどの自由な裁量は認められなくなっています。

カネカの事例はどう見る?

 それでは、今回のカネカのどのように見るべきでしょうか。
 私が本人から相談を受けたとしたら、「簡単ではないが勝訴の可能性はある。弁護士としてはやってみたい。」と答えると思います。歯切れが悪いですね。しかし、それは次のような点を考えたからです。
 同社が公表している企業情報によると、同社は資本金が330億4600万円、従業員数は連結で10,234名、単独でも 3,525名に上る大企業(2018年3月31日現在。同社ホームページより引用)とのことです。このような企業では年功序列・終身雇用といった従来の日本型雇用慣行の考え方が通用してしまう可能性が高いです。そのため、①転勤命令の必要性という点で争うことは簡単ではないように思われます(もっとも、人選の妥当性については争う余地がありそうです。)。また、②不当な動機・目的を立証することが難しいことは既にお話ししたとおりです。
 他方で、③従業員側の不利益という観点で見た場合、今回のケースでは育休の取得状況や育休中の生活状況、転勤後に生じる生活環境の変化、本人の意向の聴取などについて特に配慮したという事情は見られません。そして現在ではこのような手続的な配慮の有無は結構大きく裁判所の判断を左右する要素となっているように思われます。
 そういった事情を総合的に考慮した場合、今回のケースにおいて仮に裁判で転勤命令の有効性が問題となった場合、過去からの古い認識が通用してしまえば勝訴は難しいものの、現在の社会情勢や家庭内の実情を丁寧に説明すれば勝てる可能性もあるのではないか、という見立てをしています。

転勤命令をどう争うか

 以上のとおり、仮に今回のようなケースを裁判で争うとなった場合、少なくとも私は絶対の自信をもって勝訴する!とまでは言えないと考えています。
 しかし、そのような場合でも弁護士や労働組合が企業側と交渉することで事実上転勤を撤回・猶予してもらうということも考えられます。特に、企業側に不当な動機・目的がなかったのであれば、丁寧に家庭の実情を説明することで譲歩をしてもらう余地もあるのではないかと思います。
 ただ、実際には企業側が転勤命令の撤回に応じるケースは多くないでしょう。その場合、転勤を拒否して出社しないという態度をとってしまうのは最悪です。企業側からしたら業務命令違反を理由に懲戒処分を行う格好の理由ができてしまうからです。そのため、転勤命令を争う場合には、いったんはその命令に従って就労をしつつ、その有効性を争うという方針にならざるを得ないことが多いでしょう。
 このように、転勤命令を争う場合には信頼できる弁護士や労働組合ときちんと連携できること、そして自身の覚悟と辛抱が必要となります。

最後に

 これまでお話ししましたとおり、転勤については今もなお企業側に大きな裁量があるとい言わざるを得ませんが、だからといって漫然と転勤命令を強行するということを社会は許さなくなっています。
 今回のケースは、そのような時代の変化を察知できなかった大企業の古い感覚と、国民側がもっているニーズとがミスマッチした結果起きた実に現代的な現象だと思わされます。それと同時に、転勤に関する法律的な取り扱いを知っていただくことの重要性、弁護士や労働組合が転勤問題に関与することの重要性を痛感した次第でもありました。
 この記事が皆様の労働環境の改善にお役に立てればと思います。
 最後までお読みいただきありがとうございました。

弁護士はどうして1人で仕事をするのか?

 日本の弁護士事務所は弁護士1人に事務員1人~2人という小規模なものが多いです。大都市部や一部の新興系事務所には100人を超える弁護士が所属していますが、私がいる鹿児島では128ある弁護士事務所のうち85か所は弁護士1人の事務所となっています(2018年3月31日時点)。
 弁護士以外の人たちから見た場合、多くの弁護士が集まって共同で経営をした方が事件処理の効率も上がるし、弁護士費用も安くなるのではないかと考えるのではないかと思います。
 今回は、弁護士事務所がどうして小規模になってしまうのかについてお話ししたいと思います。

1 チーム制にするメリットがない

 弁護士はいったん事件を受けた以上、事件の流れや法律上の問題を全て把握しなければなりません。たとえば解雇トラブルの場合、「いつクビだと言われのか」、「使用者からはどのような発言があったのか」、「就業規則上の根拠はあったのか」、「解雇になるまでに処分歴はあったのか」、「懲戒解雇なのか普通解雇なのか」、「解雇予告はされたのか」、「解雇理由は説明されたのか」といった事実を把握し、その上で「職場復帰を求めるか、金銭的解決を求めるか」、「交渉での解決を目指すか、労働審判・訴訟を提起するか」といった方針を決定しなければなりません。
 この場合、当然ながら弁護士は依頼者からの事実経過を聴き取ることになりますが、その場合、弁護士は1人で依頼者に対応することとなります。何月何日までの出来事は○○弁護士が聴き取って、それ以降は××弁護士が聴き取りますなどというのは不合理の極みだからです。何より、依頼者を不安にしかさせません。
 もちろん、事務所によっては1つの事件に複数の弁護士が関与することもありますが、その場合でもまずは主任弁護士が事件全体像を把握した上で、その結果を他の弁護士たちに報告するという形をとります。そのようにしないと弁護士同士での責任の所在が曖昧になり、誰1人事件の内容を把握していないという問題が起こってしまうからです。
 結局、弁護士の業務においては、事務所の規模の大小にかかわらず、最低でも1人は事件の全体像を把握していなければならないこととなります。
 そして、弁護士として平均的な能力があれば、事件の全体像を把握できた時点で1人で処理方針を決められます。仮に弁護士複数名で協議したとしても結論に大した差は生じないことがほとんどです。
 そうであれば、わざわざ複数名の弁護士でチームを組むよりも1人で事件を処理した方が報告・連絡・協議の手間がない分だけ効率的に事件を処理できる点で合理的です。
 また、分業のメリットがない中で複数名の弁護士がチームを組むとなると、依頼者にとっては弁護士の人数分だけ弁護士費用が増えてしまうというデメリットを抱えることになります。
 以上のように、弁護士の業務は少なくとも1人の弁護士が事件全体を把握していなければならないという特性上、分業のメリットが働きにくく、大規模化しにくいという傾向があります。

2 固定支出の抑制

 先に書いたように、弁護士は事件の全体像を自身で把握しておく必要があります。一種の「オーダーメイド」方式で1件1件の事件を処理していくため、同時に処理できる事件数にはどうしても限界があります(1人当たり40件前後が限界という話があります。)。
 その結果、弁護士事務所は年商ベースで考えた場合、零細個人事業主になることが非常に多いです。
 その上、弁護士業務は基本的に固定客・固定収入というものがありません。顧問先がたくさんいるという場合は話が別ですが、基本的に弁護士に依頼がくる場合というのは「離婚」、「交通事故」、「相続」、「解雇」、「労働災害」などといった突発的・偶発的なトラブルが発生したケースに限られています。
 このように、弁護士業務に関しては、受け入れ可能な事件数に限界があるにもかかわらず、肝腎の依頼がいつ来るか分からないといった事情から、収入面の見通しを立てることが難しいという特徴があります。そうすると、弁護士事務所側は支出の抑制により経営を安定させようという発想になりがちとなります。
 幸い、弁護士は事務所というハコとパソコン、電話・FAX、印刷機があれば最低限の仕事をすることができます。したがって、支出を削減しようとすれば最大の固定支出である人件費、すなわち弁護士や事務員の採用を抑えればよいこととなります。
 それでは弁護士と事務員のどちらの採用を抑えればよいのかといえば、それは弁護士ということになります。なぜなら、事務員については弁護士が苦手な雑務作業を代行してくれるという無上の価値がありますが、弁護士を採用したそのような作業は期待できない上、ある程度にしても高額の給与・報酬を約束しなければならないからです。
 以上のように、弁護士事務所の経営においては支出を抑制しようという発想になりやすいため、固定費を増大させる弁護士の採用という発想になかなか至りにくく、その結果、弁護士1人の事務所が多数を占めるという現象が生じることになるのです。

3 依頼者にとっての小規模事務所のメリット

 以上、弁護士事務所が小規模になりやすい理由についてお話ししました。
 もともと小規模事務所は広告に力を入れない傾向があるので、利用者側からすると誰が自分にとって良い弁護士かどうかを判断しにくいという不安材料を抱えることになります。
 しかし、これまでお話しましたとおり、小規模事務所の弁護士は「オーダーメイド」で仕事を行うという意識が強い傾向があるため、弁護士と直接面談して打ち合わせができる可能性が高いというメリットがあります。
 もちろん、実際にそのようなメリットがあるのかは、利用者自身が弁護士と話をしてみて相性を確認する必要はありますが、小規模事務所だから頼りにならないとか実力がないということはありません。
 むしろ、依頼者とのコミュニケーションは事件の進行に大きな影響を与えるものあることから、弁護士と連絡がとりやすいというのは依頼者にとっては一番大きなメリットになります。
 したがって、利用者側としては、事務所のブランドではなく、複数の小規模事務所を当たって一番話がしやすいと感じた弁護士に依頼するのが賢い弁護士の選び方だと考えています。
 以上、小規模事務所の事情についてお話させていただきました。このお話が、皆様の弁護士選びの参考になれば幸いです。
 最後までお読みいただきましてありがとうございました。

医療従事者と残業代

本当に早いもので,今年もあと数時間でおしまいです。

今年も日々の業務に追われるばかりでなかなか記事の更新ができませんでした。

 

そんな中,今年は7月7日に最高裁で医師の残業代に関する重要な判例が出るなど医療従事者の労働問題については結構重要な1年になったのではないかと思います。

来年は,医療従事者の労働環境が健康保険制度を巻き込んで様々な議論を呼び起こすかもしれません。

今回は,この点について思ったことを書きたいと思います。

 

まず,先に挙げた7月7日の最高裁判決の内容について説明しますと,この事例では高額年俸(年俸1,700万円)が保障されている医師が残業代を請求できるかという点が問題となりました。

 

この点,1審と2審は,「残業代は年俸1,700万円の中に織り込み済み」という考えで医師側の請求を認めませんでした。

 

しかし,最高裁は「〔年俸1700万円の内訳について〕時間外労働等に対する割増賃金に当たる部分は明らかにされていなかった」ことから,「年俸について,通常の労働時間の賃金に当たる部分と割増賃金に当たる部分とを判別することはできない」ため,年俸の中に残業代は含まれてはいない。そうである以上,病院側は残業代を支払わなければならないとしました。

 

この「基本給と残業代の部分を明確に区別できない場合には固定残業代制は無効」という考えは,実は以前から固定残業代制の有効性を判断する際に用いられている判例上の基準でした。7月7日の最高裁判例は,この基準は高額年俸が保障されている医師の場合にも同様に適用されると判断した点で重要な意味がありました。

 

この最高裁の判決により,医師は広く残業代が請求できるようになる一方で,病院側としては医師に支払う残業代が青天井になるリスクが大きくなったといえます。その理由は次のとおりです。

 

まず,①当直勤務がある医師の場合,その当直時間の全てが残業時間とされ,その時間に対応した残業代を支払わなければならなくなる可能性があります。

なぜなら,医師の当直とは頻繁に誰かしらから呼び出しがあるものであり,その場合にはいつでも患者の元に駆けつけなければならない立場にあるからです。

このような場合,医師の当直時間は,仮にその医師が実際には仕事をしていなくても労働時間として扱われることになります(これを休憩時間と分けて「手待ち時間」といいます。)。

その結果,病院側は医師の当直時間について各種の割増賃金を支払わなければならないことになります(なお,当直制勤務については労働基準法41条3号という例外がありますが,これも簡単には適用できないため結局残業代の支払い義務を免れないケースが見受けられます。)。

 

また,②医師の場合,そもそもの基本給が高いため,割増率を乗じると一層残業代が高額化します。

 

さらに,③病院側で電子カルテが導入している場合,医師がカルテに書き込みを行った時間を改ざんすることは簡単ではありません。このような場合,医師側は労働時間を証明しやすいという特徴があります。

 

加えて,④病院が残業代訴訟で敗訴した場合,医師側は診療報酬請求権を差し押さえて残業代を回収することが可能です。この場合,病院側は単に残業代の支払わされるだけではなく,社会的にも大きく信用を失うことになります。

結果,病院側としては裁判で認められた残業代を実際に支払わざるを得ません。

 

以上のように,医師側から残業代を請求された場合,病院側は非常に大きな経済的負担と社会的制裁を強いられることになります。

 

ところで,残業代が問題になるのは何も医師だけではありません。看護師,薬剤師,理学療法士,作業療法士などの各種の医療従事者たちも,1日8時間,週40時間労働(一部小規模の医療機関だと週44時間)を超えれば残業代を請求できるのが基本です。

そのため,病院側はもし1件でも残業代トラブルを起こすと,次から次へと残業代の支払いに応じなければならないということになります。

 

したがって,医療従事者の残業代請求は,実は弁護士にとって結構な「鉱脈」になるのかなと考えています。

 

ただ,もし日本における全ての医療従事者たちの人件費を労働基準法の規定どおりに算出したとしたら,果たして日本の健康保険制度は維持できるのだろうか,という懸念は感じます。

なぜなら,現状,日本の医療従事者の方々が残業代を問題化しない理由は,他の職業に比べてまだしも安定した雇用が保障されているからに過ぎないと考えるからです。

 

そのため,今後日本の経済事情が暗転し,医療従事者たちの雇用の安定が脅かされた場合,その人たちは日々の生活の糧を確保するため,自らの切り札としての権利を行使する可能性は大いにあると考えます。この場合,残業代を求める医療従事者側と,その費用を健康保険料として負担する国民側との間では葛藤が生じることは免れません。

 

このような次第で,医療従事者の残業代問題は,健康保険制度全体をも揺るがす大問題になる可能性を秘めていると思います。しかも,その問題の火種は来年にも爆発するのではないかと考えたりするのです。

 

そんなときに,自分は何をできるのだろうか,そんなことを考えている年の瀬でした。

 

年末に物騒なことを書きましたが,次の一年も平和な時間になることを願うばかりです。

 

来年も当事務所をよろしくお願い申し上げます。

証拠の「強さ」と「固さ」

何と言っても裁判では出せる証拠で勝負が決まります。

もちろん相性のいい裁判官に巡り会うとか、弁護士の弁論能力が高いとかの要素も多少は裁判の行方を左右します。

しかし、証拠がなければ議論の土台すら作れません。

というのも、裁判官は

証拠で何が分かるか→分かった事実でどのような法律が適用できるか→法律を適用した結果どのような請求が認められるか

という思考で結論を出すからです。

 

日本の裁判では証拠は当事者が用意するのがルールとなっています。

裁判官が一方当事者だけに肩入れをすることは不公平になるからです。

そうなると当たり前ですが、「で、どういう証拠があればいいんですか?」という話になります。

 

それが分かれば誰も苦労しませんが、私自身が意識しているのは証拠の「強さ」と「固さ」です。

 

「強さ」とは、「その証拠で何を証明できるのか?」という視点です。

 

不貞慰謝料を例として、不貞相手が「私は●月●日にどこそこのホテル肉体関係をもちました。」と自白している場合を想定します。

この場合、不貞相手の自白が真実である限り、不貞関係があったということができます。

その意味で、この自白はそれだけで肉体関係の存在を証明できる「強い」証拠ということができます。

 

他方、夫が女性とラインで下ネタトークを繰り広げているという場合、そのラインのやり取りだけで直ちに肉体関係の存在を証明できるわけではありません。

この場合には、そのラインのやり取りが非常に頻繁であるとか、休日には必ずデートに行っているとか、キスをしている現場を目撃したなどの事情の兼ね合いがあって初めて肉体関係が認められます。

その意味でこのラインデータは不貞相手の自白に比べれば「弱い」証拠となります。

 

次に、証拠の「固さ」とは、その証拠の内容が時系列で役に立たなくなる可能性の大小の問題です。

 

先ほどの不貞慰謝料の例だと、確かに「私は●月●日にホテルどこそこで肉体関係をもちました。」という自白は、それが正しければ不貞は間違いなしということになります。

しかし、この自白は人間の言葉が情報源となっています。そして、人間の発言とは、いろいろな事情で内容がコロコロ変わるものです。

 

例えば、先の自白の場合、「いや、私はそんなことを言った記憶はない。」とか、「確かに不倫を認める発言をしたけれど、あれは奥さんから無理矢理言わされたんだ。」などの弁解が出てくることがあります。

この場合には、どのような経緯で自白をするに至ったかという経緯や、周囲の状況が問題となります。長時間にわたって問い詰めたり、自白しないと周囲に言いふらすといったような脅迫がある場合、その自白は記憶のとおりの発言なのかが怪しくなり、果たしてすぐに信用して良いだろうかということになります。

この意味で、この自白は「強い」けれども、固さでは「もろい」証拠となります。

 

他方、ラインデータの場合、そのデータは確かにその時間、そのような文言のやりとりがあったことはほぼ間違いないと言えます。

その意味で、このラインデータは自白に比べれば「弱い」けれども「固い」証拠だということができます。

 

このように、証拠は「強さ」と「固さ」の視点をもつと、その証拠がもつ価値の大きさが大体にしても分かってきます。

 

最近では、誰でもスマートフォンをもっているため、録音アプリで会話内容を保存することが簡単になっています。

そのため、今の時代「固い」証拠を残すことは、それほど難しいことではありません。

ですから、後は根気強く「強い」証拠が入手できるときを待てば良いということになります。

 

なお、録音データについては「そんな卑怯なものは証拠にするな」と反論されることがあります。

しかし、現在の世の中、自分からした会話の内容が録音されている可能性があることは、どこかの国会議員の「このハゲーーー」から始まるやり取りからも明らかです。

裁判所も、録音データに関して証拠から除外することはほとんどありません。

 

そういうわけで、このサイトをご覧になる方は、泣き寝入りをするくらいなら、じゃんじゃん証拠を残しておいてほしいと思います。

 

交通事故被害者は3度泣く(2)

引き続き交通事故についてです。

被害者にとって,治療費打ち切りの話は本当に突然に来ます。

本来,被害者からすれば相手がろくな運転をしないせいでケガを負わされたわけです。ですから,当人にとっては自分のケガが完治するまで加害者や加害者が加入している保険会社に治療費の面倒をみてもらいたいと考えます。当然のことだと思います。

しかし,事故の内容によっては,何ヶ月も病院に行っているけれどもこれ以上はどうもケガが良くなりそうにないと判断されてしまうことがあります。これがいわゆる「症状固定」といわれるものです。

一般的に,この「症状固定」までの期間は交通事故でのケガの大きさに比例して長くなります(例えば,同じ骨折といっても骨折のケースと複雑骨折のケースとでは回復までにかかる時間にも差が生じますし,後遺症が残る可能性にも違いがあります。また,その後遺症についても,どのくらい大きなものが残ってしまうかについては時間をかけて判断する必要があります。)。

そして,「症状固定」までの期間が長くなれば長くなるほど,被害者は受けたくもない治療を余儀なくされたり,仕事を休まされたりすることになります。

このことから,「症状固定」までの期間が長くなるにしたがって慰謝料や休業損害といった賠償額が大きくなるという関係があります(単純に両者が比例するわけではありません)。

繰り返しますが,ほとんどの被害者の方々は理不尽な交通事故のせいで長期間の治療を余儀なくされているわけですから,その期間や残った後遺症に見合った賠償を受けられる必要があります。

しかし,本当にごく一部ですが,治療期間が長くなるほど賠償額が大きくなると考え,不必要な治療を受け続けるケースがあることは否定できません。

そして保険会社は,このような「モラル・ハザード」のケースをことのほか警戒し,できる限り早く治療を切り上げさせ,「症状固定」の時期を早めようと圧力をかけます。

また,保険会社にとっては,「症状固定」の時期が早まれば,その分支払わなければならない賠償金・保険金が安く上がるということになり,保険会社のトクということにもなります。

ここで,できるだけきちんと治療を続けたい被害者側と,さっさと治療を打ち切って賠償金・保険金を節約したいと考える保険会社の利害が対立することになります。そのとばっちりとして,本当に真面目に治療を受けていた被害者がある日いきなり保険会社から治療費の打ち切りを宣告されるという苦杯を飲まされることになるということは,前回書いたとおりです。

次回は,被害者が流す3度目の涙として,「症状固定」までの期間の違いが慰謝料や休業損害にどのような影響を与えるか,また,いかに多くの被害者が理不尽な内容の示談案を押しつけられているかについて,専業主婦の方のケースを参考にしつつお話ししたいと思います。

労働事件の相談先は?(2)

前回に引き続き,労働事件に関して思うところを書かせていただきます。

当事務所では解雇や残業代などの問題を精力的に取り扱っています。その理由は,人々が安心して一日一日を過ごすためには,安定して仕事があり,安定して収入を得られる状態にあることが必要不可欠であるからと考えているからです。また,きちんと働いたことについてきちんとした給料で報いることは,単に労働者の生活を保障するだけにとどまらず,その人の人間性を評価し,自信をもたせ,結果として社会全体の生産性が高まるとも考えています。

しかし,鹿児島県は霧島市という地方の小さな法律事務所の弁護士として活動をしていると,これとは真逆の状態が平気でまかり通っています。その状態をまとめると,「毎日休日返上でサービス残業。ノルマを達成できなくて減給。パワハラセクハラは当たり前。不平を言えば即クビ。当然解雇予告手当は支払われない。社宅も追い出された。ハローワークに相談したら雇用保険は未加入だと言われた。預貯金はほとんどない。・・・明日からどうしよう。」というものです。

今の日本において,一般の方々にはそのような絵に描いたような「ブラック企業」は縁がない,例外的な存在だと思われているようです。これは政府レベルでも同様みたいで,政府や国会では多様な働き方を希望する人がいるという名目で派遣法を改正し,また,今後さらに労基法を改正して高度専門職制度というものを設けようとしています。この制度が成り立つためには「自分の仕事がみんなの役に立っている!時間に縛られないで一生懸命働いてたくさんの人にの役に立ちたい!それが自分の幸せなんだ!」と考えられるだけの自信と能力が必要になるはずだと思いますが,それほどの自信家が今の日本のサラリーマンの中にどれほどいるのだろう?と純粋に疑問に感じます。少なくとも私が見聞するのほとんどの事例は,ブラック企業で酷使された結果,自分に自信を失って後一歩で何かが壊れてしまいそうになっている人が登場します。

「ブラック企業」がもたらす悪影響は,今後ひたひたと国民全体の問題として迫ってくるでしょう。とうよりも,その問題はもう目の前に迫っています。

近時では子育て世代の貧困が徐々にクローズアップされていますが,この問題も子育て世代(特にシングル・マザー)が安定した身分で安定した給料を得られる仕事が非常に少ないという点が問題を大きくしています。正規雇用のアミから外れたこれらの人々には,「ブラック企業」であることを承知で仕事をし続けるという選択肢しか与えられません。その意味で,ブラック企業問題と子育て世代の貧困問題は密接にリンクしています。日本での終身雇用・年功序列賃金がもはや神話となった現在,これを抜本的に変更して,できるだけ多くの人々が安心して安定した収入を得て人間らしい生活ができる制度を作ることは極めて困難でしょう。

話が大分それましたが,私は政治家ではありません。そのため,私はこれらの問題についてどのようにすれば解決できるかという答えは持ち合わせていません。

私ができることは,当事務所に相談に来られた方々の悩みを聴き取るとともに,皆様に代わり,弁護士として堂々と法令上認められた権利を主張するだけです。しかし,それは非常に集中力を要する作業です。

労働法の保護から外された人々は生きるか死ぬかの問題を抱えます。そして徐々に自分に対する自信を失い,将来を考えることができなくなります。そのような中で,弁護士が辛抱強く,丁寧に相談者様の労働者として認められている権利の内容とその由来を説明します。最初は恐怖や不安で私の説明など理解することはできません。それでも,時間をかけて相談を重ねることでゆっくりと自分の意志を取り戻します。最後には,自分の労働者としての意見―自分は会社に残るにふさわしい,残業代をもらうだけの貢献をしている―をもつようになり,ようやく勤務先に対して法的請求を行えるようになります。

このような,本来あるべき法的請求をすることで,労働者はようやく自分が人間であることを思いだし,人生を再出発することに展望をもつことができるようになります。

以上のとおり,弁護士は社会のミクロの部分で解雇や残業代などの労働紛争を通じ,労働者の人格を回復させることができる唯一無二の資格であると考えています。一地方事務所の一弁護士でしかない私ができることは非常に限られています。しかし,個々の弁護士が労働者の一人一人に法的な救済を充てること,そして,その事例を集積させていくことが,本当に必要な労働法制の策定と,それによる社会内の生産力の増強をもたらすものであると信じています。

そのため,解雇・残業代その他労働に関する悩みをおもちのかたは,まずは当事務所まで御連絡いただければと思います。

最後に,ブラック企業の話ばかりしましたが,時折びっくりするほどホワイトな企業における事例を見聞することがあります。折を見てそのような事例が人々や社会にもたらす影響についても記載したいと思います。

労働事件の相談先は?

当地で事務所を始めて以来,特に労働者側の立場で労働関係の相談を受けることが増えました。

また,弁護士ドットコムの「みんなの法律相談」においても,労働関係の相談は多く寄せられています。

その中で,私が特徴的だなと思った点が2つあります。

1つは,大抵の相談者が,弁護士事務所に来られる前に労働基準監督署へ相談に行っているという点です。

2つ目は,相談者の期待に反して労基署があまり熱心に活動してくれないという点に不満をもたれる方が多いという点です。

このことは,以下の2つの理由から生じる現象と思われます。

まず第1に,労基署は行政の機関であって,私人間の個別の紛争を処理する役割はないということをほとんどの方が知らないという理由です。

労基署は,労働基準法その他の法令違反があった場合には警察と同様に強制的な捜査ができる権限をもっています。しかし,そのような権限は飽くまで犯罪の検挙し,公益を守るために行われるものです。基本的に労基署は相談者個人のために企業と闘って未払賃料を請求したり解雇無効を主張したりできる立場にはありません。警察の「民事不介入」の考え方が労基署にも当てはまるわけです。

これは,労基署に求められる役割からすれば当然であり,やむを得ないところです。ただ,相談者にとっては労基署は労働者の味方だと思って相談に行かれるわけで,そこで知る労基署の能力の限界には大きく落胆をさせられます。

ここで,第2の問題として,それでは相談者はどこに相談に行けばいいのか?という点です。この問題は第1のそれよりもはるかに大きな問題です。

本来であれば,ここで「弁護士事務所です!」と自信満々に言えればいいわけですが,現実はそうはいきません。

なぜなら,相談者には弁護士に相談をするという発想が抱けないからです。

相談者の皆様は,大抵,まずは会社と直接交渉→労基署に相談→弁護士に相談,というプロセスを経られて法律事務所にたどり着かれます。そして,弁護士に相談に来られるまで,相談者はひとりで会社の勝手な言い分と闘わなければなりません。悩んだ末にたどり着いた労基署でも問題が解決できないとなって,それでも納得できないと気力を奮い立たせて,ようやく「弁護士に相談しよう!」という発想となるわけです。

逆に言えば,この過程で気力が尽きて諦めてしまうという方々もいらっしゃいます。そして,その数は弁護士に相談に来られる方よりもはるかに多いはずです。

こうして,「ブラック企業」は今日も元気に活動し,その裏で多くの労働者が涙を飲まされるという状況が許されてしまっています。

では,なぜ「弁護士に相談する」という発想を抱けないのか?

やはり弁護士側から国民に向けてのアピールが全般的に弱いからだと思われます。

ではどうすれば国民全体へのアピールができるのか?

残念ながら今の私の頭では画期的なアイディアは思い浮かびません。

弁護士による広告規制が緩和されてから大分経ちますが,テレビやラジオで労働事件をCMするというのは聞いたことがありません。一時は未払賃金事件が過払い金事件に取って代わるという話がありましたが,現在のところはそうはなっていません。

広告で宣伝されるのは,今でも過払い案件か,せいぜい交通事故案件くらいでしょう。労働事件はどうしても定型的に処理できない部分があるため,コストに見合った利益が出せないのだと思います。

弁護士会などは時折市民向けに無料法律相談会などを開きますが,国民への訴求力は大きくありません。

ワタミの過労死事件のように,大きな事件であればインパクトも大きいですが,あれは極端な事例だからニュースになったのであって,どれほどの方が現実感をもってあの事件を受け取ったかは分からないところがあります。

結局,現時点では個別の弁護士の正義感に期待してアピールするということくらいしか方法はないということでしょうか。

現在は,弁護士が大きく増えている時代ですので,あるいはこうしたアピールの数も多くなるかも知れません。

弁護士全体としては,パイが限られている事件の取り合いで疲弊していくのは苦しいところです。しかし,それで新しく事件が発掘できれば最終的には国民全体の利益にもかなうのかもしれません。

地方の一弁護士でしかない私には,いずれそうなることを期待しながら,依頼を受けた一件一件を適切に処理していくことで,依頼者と市民の信頼を獲得していくことしかできません。

ただ,そのことを通じて少しでも国民の一人一人が「弁護士に相談する」という発想をもっていただければありがたいと思っています。

面会交流における理想と苦悩

このたび,面会交流に関する裁判について,平成27年7月25日付産経ニュースに注目すべき記事が載っていました。

同記事によると,「別居中の妻に長女との面会を妨げられたとして愛知県内の男性が面会の実現を求めた裁判で、妻が正当な理由なく面会させなかった場合に科される間接強制の制 裁金を4倍に増やす決定が名古屋高裁であったことが25日、分かった。親子の面会で制裁金が大幅に増額されるのは異例。面会交流調停の申し立てが増加する 中、面会を妨げた親の親権変更や弁護士への損害賠償命令などの司法判断が相次いでおり、専門家は「子供の利益を最優先にする民法改正の影響だ」と指摘して いる。」(以上,上記産経ニュースの記事を引用。)とのことです。

現時点では決定文の全文を確認することはできていませんが,この裁判が確定したら,今後の面会交流実務には大きな影響があると思われます。

面会交流については,平成24年改正の民法766条1項で「父母が協議上の離婚をするときは,・・・父又は母と子との面会及びその他の交流・・・について必要な事項」を「子の利益を最も優先して考慮して」定めるものとしています。この規定から,非監護親(子どもの養育及び監護を担当しない親)と子どもの面会交流は,子どもの成長にとって有益であるという前提が存在しており,実務上も面会交流は可能な限り実現するよう努力する取扱いがされています。

では,面会交流が子どもの成長にとって有益であるといえるのはどのような理由からでしょうか?

この点については,離婚という大人の一方的な都合で親子関係を引き裂かれた子どもにとって,非監護親との面会交流は家族としてのつながりを再確認し,自分という存在を肯定することができるという,子どもの人格形成にとっての有効性が理由の一つとして挙げられます。

また,その他の理由としては,非監護親と子どもが面会することで,子どもから大人へ「発達」する過程において生じる数々の葛藤・課題を乗り越えるための良き助言,見本を得ることができ,これにより葛藤・課題を乗り越えて自分という存在に自信をもつことができるようになることが挙げられます。

以上のように,非監護親と子どもの面会交流には,子どもの人格の発達にとって重要な意味があることから,できる限りこれを実現する必要があります。

しかし,他方,面会交流は飽くまで子どもの人格の発達という「目的」に対する「手段」に過ぎません。そして,面会交流が子どもの人格の発達にとって本当に有用であるか,疑問視される場面がないわけではありません。

これがDVであるとか児童虐待の事例であれば,客観的に事態を把握でき,対処の手段もある点で,子どもの人格を守るために面会交流を否定するという結論を導きやすくなります。

これに対し,近時「モラハラ」といわれている事案については,非常に判断が難しくなります。

ここで,「モラハラ」には様々なニュアンスで用いられる言葉であるため,画一的な定義は難しいです。

私なりの理解としては,「行為者が相手方に対する絶対的優位性を誇示,あるいはこれを獲得するために行われる,相手方の人格を否定する有形無形の行為一切(DVや虐待を除く)」と考えたいと思います。

このような人は次のような特徴があります。

まず,言っていることとやっていることが正反対ということが非常に多いです。配偶者には「もっと自由にふるまいなさい。」と言いながら,配偶者の一挙手一投足を見張り,気にくわないことを見つければそれがどんなに些細なことでも文句を言います。それも,ことさら相手方の人格を否定するようなキツい言葉で責め立てます(「こんなことも分からないのか。バカな奴だな。」など。)。

また,自分の意見は常に全て正しく,それ以外は全て間違っていると考えます。それにもかかわらず,実際に自分が選択を間違えて不都合なことが起きた場合には自分では責任をとらず,全て配偶者に押しつけます(「自分の意見にお前も賛成した。きちんと確認しなかったお前が悪い。」)。

更に,配偶者にコンプレックスを植え付け,それを大きくさせる言葉で相手を責め立てたりします(「だらしがない。」,「頭が悪い。」,「行動が遅い」,「お前は人の気持ちが分からない奴だ。」など。)。

これらはモラハラの特徴のごく一部ですが,いずれの場合でも共通するのは,自分が絶対的な君主で,それ以外の関係者は全て従者,ひどいときには精神的奴隷ともいうべき明確な上下関係,主従関係を強く望んでいるという点,そして,自分は相手方の言動を全人格レベルでコントロールしなければ気が済まないという点です。

このような特徴は,親子関係においても例外ではありません。むしろ,親子関係というのは親と子だけで完結する閉鎖的な関係で,大人対子どもと力関係も明白であることから,このような傾向は一層強くなります。そのような関係の下では,親は皇帝であり,子どもは奴隷でしかありません。親が子どものことを人格をもった一個人とみることは期待できず,子どもにとっては皇帝の命令に盲従することが求められます。

このような不健康な親子関係においては,無理して子どもを親と面会させることは,子どもに奴隷としてのトラウマの日々を思い出させるとともに,自分の気持ちが尊重されないということでの無力感を覚えさせ,かえって発達において重大な支障になるものと考えます。

少なくとも,子どもがある程度の年月を経て,しかるべき発達課題をクリアした段階で面会交流を試みるという方法も選択肢があるべきだと考えます。

ダン・ニューハースは「不幸にする親 人生を奪われる子ども」(講談社+α文庫,訳:玉置悟)の「親との関係の持ち方を変えるには」という章の中で,上記のような不健康な親子関係から子ども(であった人)の人格を取り戻す方法として,親との間で健全な境界線を引くことの重要性を主張します。そして,この境界線の引き方として,「たとえば,親と会うのがあまりに苦痛な場合は延期してもいいですし,どうしても会わなくてはならない場合には,会ってもあまり口をきかないでいることもできます。相手がどう思おうが,何を言おうが,心を遠ざけてしまうこともできます。しばらく接触しない“試験期間”を設けることもできます。いわば親から休暇をとるようなものです。そうしたからといって,そこで永久に関係を断つわけではありません・・・コントロールばかりする親のいる家で育った人にとって,精神的な生存を守るために行動できるようになることは,人生の大きな転機となります。それはまた,「一人の人間として生きている自信」をつけることになるでしょう。」(以上,同著194ページ以降を引用。)と述べています。このアドバイスは大人となった子どもに対するものとしてされたものですが,この「試験期間」や「休暇」はつい最近までコントールばかりする親の下で育ってきた子どもにこそ,重要な意味をもっていると思います。

ここで,面会交流の実務について私の感想を述べますと,実務では面会交流を積極的に認めていく方針であり,私自身,その方針自体は歓迎すべきものであると考えています。

しかし,実際の面会交流の審判に当たっては,現在は面会交流を認める時勢の流れがあるから,とりあえず何とか面会交流を実現させようというような傾向がないとはいえません。面会交流自体が「目的」化してしまっていると感じることがあります。

この点については,DVに関する指摘ではあるものの,「性と法律―変わったこと,変えたいこと」(角田由紀子著,岩波新書)は90ページ以降において,「調停委員や家裁の裁判官は,子どもの被害について教育を受けているのだろうか。子どもには親に会う「義務」があるかのごとき発想の人に出会う現場にいる人間としては,心許ないところがある。子どもにとっては,一生の方向に関係する問題であることが,もっと認識されるべきである。それがなければ,場合によっては,家裁が暴力の連鎖の維持に手を貸すことになるのではないかと思う。家裁は,ドメスティック・バイオレンスにさらされた子どもが受けた被害をもっと理解する必要がある。それには,法律家の知見だけではあまりにも限界がある。その限界をわきまえて,たとえば小児精神科医など子どもの現場に詳しい専門家の意見を聞き,関係する分野の人たちとの連携と交流を図るべきであろう。同じことは,家族に関する事件を扱う弁護士にも当てはまることは,言うまでもない。」(以上,同著を引用。)という御指摘があり大変参考になります(もちろん,現場の関係者の方々にはそれぞれお忙しい中様々なことを考慮していただき,その活動には敬服しております。)。

離婚後における非監護親と子ども関係は,それが円満であれば面会交流を実施することに全く異存はなく,私自身,そのような事案であれば,面会交流を実現するべく監護親にその意義を丁寧に説明しています。

しかし,頑なに子どもが面会交流に嫌悪感を示すような場合においては,私自身,面会交流を実現することが子どもの人格形成や発達に悪影響を与えないかと自問自答します。それでも実務的には面会交流を認める傾向があることを監護親に説明しなければならないときには大変な苦悩を抱かざるを得ません。

先の角田由紀子氏の著書にもあるように,子どもには親に会う「義務」があるわけではありません。このことからすれば,飽くまで面会交流は子の人格形成,発達促進のために行われる一手段であること,そのため,面会交流の実施に当たっては子どもの意見を第一に尊重すること,逆に非監護親の要望などは補充的な考慮要素にとどめられるべきではないかと思います。

その意味で,今回の決定がどのような経緯でなされたものであるのか,私自身もよく吟味し,これから先の事案を扱う際の参考としたいと思います。

なお,今回の記事を作成するに当たって,上記の書籍以外にもスーザン・フォワード著の「毒になる親 一生苦しむ子供」,クレイグ・ナッケン著の「やめられない心 毒になる「依存」」(いずれも訳:玉置悟,講談社+α文庫),外山紀子・外山美樹著の「やさしい発達と科学」(有斐閣アルマ),片田珠美著の「他人を攻撃せずにはいられない人」(PHP新書)を参考にしました。いずれも親子関係や子どもの発達の問題について易しく記載されているので,皆様も一度ご覧になることをおすすめいたします。