その固定残業代、大丈夫ですか2

 今回は前回に引き続き固定残業代制をテーマとしてその有効性が認められない可能性が高いパターンをさらに2つ紹介します。
 以前にも触れましたが、固定残業代制が無効と判断されてしまった場合、使用者は基本給に固定残業代分を合算した金額で計算し直した残業代を満額労働者に支払わなければならなくなります。その場合、残業代が数百万円に上ってしまうということも珍しくありません(この現象を「残業代のダブルパンチ」ということがあります。)。
 そのため、どのような場合に固定残業代制が無効となるかを知っておくことは、労働者にとっては長時間残業から自らの身を守る観点から、また、使用者にとっては自身の経営上のリスクを把握する観点から非常に重要となります。
 前置きが長くなりましたが、以下、固定残業代が無効となる可能性が高いパターンについて説明いたします。

タイプ1:就業規則不備型

 1つ目は労働契約書に「基本給20万円、職務手当10万円(1か月30時間分の時間外手当を含む)」などと書いているにもかかわらず、就業規則で固定残業代に関する説明を何もしていないというパターンです。
 このような就業規則の場合、「職務手当」については管理職といった肩書き・職責に対して支払われる対価であると評価されてしまう可能性が高いです。そのため、裁判所は「残業代としては労働者には1円も支払われていない。したがって使用者は残業代を全額支払うべし。」と判断することになります。
 なお、このパターンでは使用者側から「就業規則の規定とは別に労使間の合意で固定残業代制を採用していた。したがって固定残業代制は有効である。」と主張されることがあります。
 しかし、就業規則よりも不利な内容の合意は労働契約法12条により無効と扱われるため、この弁解が通用することはほとんど考えられないと思っておくべきです。

タイプ2:基本給切り下げ型

 2つ目は例えば「基本給30万円」であったものを「基本給20万円、定額時間外手当10万円(1か月30時間分の時間外手当に相当)」へと変更するパターンです。
 この場合、一見すると労働者側が得る給与の額面は月額30万円から変化がないようにも見えます。しかし、前者では割増賃金の計算の基礎となる賃金が月額30万円であるのに対し、後者ではこれが月額20万円となります。
 その結果、労働者にとっては同じ残業時間でも自身が得られる残業代が少なくなってしまうこととなります。
 この点について、労働契約法8条は労使の合意で労働契約の内容を変更できる旨定めています。しかし、賃金や労働時間といった労働者の生活に直結する労働条件の変更については労働者が真意から当該合意に同意することが必要とされています。そして、その同意の有無については、そのような同意をすることが客観的に見て(つまり第三者目線から見て)合理的であるといえるか否かによって判断することとされています。そのため、実際にはこの労使間の「合意」が認められるケースはそれほど多くはありません。
 特に、このパターンでの労働条件の変更内容は、単に労働者の残業代が削られるだけとなっている点で労働者側に一方的に不利なものとなっています。そして、労働者がそのような労働条件の変更に応じなければならない合理的な理由が客観的に存在すると評価されることはまず想定できません。
 そのため、こうした固定残業代の定め方は無効となる可能性が極めて高いです。

補足:固定残業代制は導入しにくい

 そもそものところ、固定残業代制は非常に導入しにくい制度です。
 まず、常時10人以上の労働者を使用する事業場では労働基準法89条により就業規則の作成義務が課せられています。そのため、ある程度の規模以上の事業所では従前から作成されていた就業規則があるはずです。
 しかし、その就業規則が最初から固定残業代制について定めていたという場合は少ないでしょう。そうすると、そのような使用者が新規に固定残業代制を導入するには既存の就業規則を変更する手続をとることが必要となります。
 ところが、就業規則の変更はそう簡単にはできません。というのも、労働契約法10条は、就業規則を変更するための要件として、変更後の就業規則が「労働者の受ける不利益の程度」、「労働条件の変更の必要性」、「変更後の就業規則の内容の相当性」などといった点から見て合理的であることを要求しているからです(労働者の合意がある場合は話が別になりますが、この合意が簡単には認められないことは先に書いたとおりです。)。
 ここで、固定残業代制は、たいていの場合、従来の就業規則が定める計算よりも労働者の賃金額が低くなる点で労働者に大きな不利益が生じます。また、変更後の就業規則において想定される労働時間が従来よりも長時間化してしまう点でも労働者には大きな不利益が生じるといえます。そのため、固定残業代制の導入に当たりこのような不利益を超越するほどの必要性や相当性が認められるケースというのは想定しにくいです。
 このことから、固定残業代制を導入するために就業規則を変更するとしても、労働契約法10条の要件を満たさないため無効となってしまう危険が大きいこととなります。
 そのため、既存の就業規則がある場合に新たに固定残業代を導入することは非常に困難です。
 これに対し、たとえば「基本給30万円」から「基本給30万円、定額時間外手当10万円(1か月20時間分の時間外手当に相当)」という形で固定残業代制を導入すれば有効となる余地も多少は広がるかもしれません。しかし、このような固定残業代制を採用した場合、使用者は人件費の増大という別の経営的リスクを抱えることとなります。
 結局、新規に固定残業代制を導入しようとすれば使用者は法律的にも経営判断的にも大きなリスクを覚悟しなければならないのです。

最後に:固定残業代制がはらむリスクに理解を

 以上のように、固定残業代制には労働条件の不利益変更という問題がつきまとうことため、個別労働者からの合意という方法をとるにしても、就業規則の変更をとるにしても、適切な代償措置を講じるなどの手当をしない限り裁判手続で効力が否定されてしまうリスクがあります。
 そのため、使用者の皆様におかれてはくれぐれも安易な考えでこの制度を導入しようとは考えないでいただければと思います。
 今回も最後まで読んでいただきありがとうございました。

その固定残業代、大丈夫ですか?

1 固定残業代制とは

 私が労働問題の相談を受けておりますと固定残業代制を採用している求人情報に接することがよくあります。
 固定残業代制とは、要するに給与の中に予め残業代を組み込んでおく制度です。法律上明確な根拠がある制度ではありません。
 固定残業代制は求人の際に給与額が高く見せられることや残業時間の管理が楽になるといった理由から結構な頻度で導入されている制度です。
 かつては給与の中に残業代を全て組み込んだり、「給与 月額30万円(40時間分の残業代を含む)」などの表記をしたりする固定残業代制度が横行していました。
 しかし、現在は判例の蓄積により固定残業代制度が有効になる場合がかなり制限されるようになりました(具体的には基本給とそれ以外の手当が判別可能であり、かつ、その手当が職責・肩書きなどへの対価ではなく残業に対する対価として支払われることが必要とされています。)。
 また、現在の職業安定法ではハローワークで固定残業代制度による求人を行う場合、あらかじめ求人票に基本給と残業代の内訳を示した上でその残業代が何時間分の残業代かであることも明らかにする必要があることとされています。
 これらの司法と立法による手当の結果、最近は昔ほど露骨に違法な固定残業代制度の求人を見ることは少なくなりました。
 とはいえ、違法な固定残業代制度が全くなくなったわけではありません。
 最近のトレンドは「基本給12万円、固定残業代18万円(時間外労働80時間分を含む)」というように、基本給を極力少なくしてその分だけみなし残業時間を増やす方法です。
 しかし、最近になってこのような手法にも司法上のメスが入りました。以下ではその判例を紹介します。

2 イクヌーザ事件判決

 イクヌーザ事件(東京高判平成30年10月4日)は、使用者が労働者との間で給与23万円、そのうち8万8000円を月間80時間の時間外勤務に対する割増賃金とする旨定めた雇用契約を締結し、実際に労働者が月80時間以上の時間外労働を行った際には8万8000円とは別に基本給14万2000円を基礎として計算された残業代を支払っていたというケースにおいて、基本給14万2000円ではなく23万円で計算された残業代を請求できるかが問題となった事例です(実際には昇給により基本給と固定残業代が増額していますが割愛します。)。
 この点について、裁判所は給与総額23万円は基本給14万2000円と固定残業代8万8000円に判別でき、しかも、8万8000円は残業に対する対価であると認定しました。そうすると、この固定残業代は従来の判例で求められる要件を満たし有効となるように思われます。
 しかし、裁判所は固定残業代制度が想定する「1か月80時間」というみなし残業時間の長さを理由にこの固定残業代制度を無効と判断しました。
 裁判所の判断枠組みをざっくりと説明すると、使用者側が80時間分の固定残業代を定めるているのは労働者に対して恒常的に1か月当たり80時間前後の長時間労働を強いることを前提としているからである。そして、1か月80時間という残業時間は労働者の健康を損なう危険がある(この1か月80時間という残業時間は「過労死ライン」と言われています。)。したがって、そのような長時間労働を前提とする固定残業代制は公序良俗に反するため無効である。というものです。
 なお、使用者側は、仮に8万8000円という固定残業代は80時間分の固定残業代としては無効であるとしても45時間分の固定残業代としては有効ではないかと主張しました。
 しかし、裁判所はこのような使用者側の主張を認めませんでした。その理由として、裁判所はそのような取扱いを許すことで『とりあえずできるだけ長時間の固定残業代の定めをしておいて、裁判に負けたときに残った残業手当を支払えばよい』との風潮を助長するからだと述べています。
 この結果、裁判所は労働者側が主張したとおり、給与23万円全額を基礎に計算された残業代の請求を認めました。

3 固定残業代にはデメリットしかない

 以上のとおり近時固定残業代のトレンドになっていた「基本給を極力下げ、みなし残業時間を極力延ばす」という手法は判例により否定されました。このことから、今後も同様の訴訟が続く可能性も否定できません。
 そのため、もし使用者側においてこのような固定残業代の定め方をしているとすれば、今からでも制度の内容を変更しておく必要があるかと思われます。もし、制度を変更しないまま労働者から訴訟を起こされると、残業代の支払いの事実を否定された上、さらに固定残業代部分も基本給に含めて残業代を再計算されてしまいます。つまり、使用者側は増額された残業代を丸々支払わなければならなくなるというわけであり、その経営的なダメージは計り知れません。この意味で、私は固定残業代制を全くお勧めしておりません。

4 最後に:労働基準法の遵守こそが最高の防御手段

 そもそも、労働基準法は1日8時間・1週間40時間労働を大原則とし、残業についてはごく例外的にしか認めないという姿勢をとっています。それは長時間労働が労働者の心身の健康を損ない、ひいてはその生命を奪う危険まであるからです。
 これに対し、固定残業代制度は恒常的に残業があることを前提とする制度です。そして、働き方改革が叫ばれる昨今では、この制度を採用すること自体が「ブラック企業」の烙印を押されるリスクの原因となります。
 きれい事かもしれませんが、使用者の最大の防御は労働基準法の労働時間規制を遵守し、残業は極力認めないという意識をもつことに尽きます。
 私としては、このイクヌーザ事件判決を通じて昨今の固定残業代制度の内情と危険性を知っていただき、労使ともに少しでも残業時間の減少につなげていただければと思います。
 今回も最後までお読みいただきありがとうございました。

医療従事者と残業代

本当に早いもので,今年もあと数時間でおしまいです。

今年も日々の業務に追われるばかりでなかなか記事の更新ができませんでした。

 

そんな中,今年は7月7日に最高裁で医師の残業代に関する重要な判例が出るなど医療従事者の労働問題については結構重要な1年になったのではないかと思います。

来年は,医療従事者の労働環境が健康保険制度を巻き込んで様々な議論を呼び起こすかもしれません。

今回は,この点について思ったことを書きたいと思います。

 

まず,先に挙げた7月7日の最高裁判決の内容について説明しますと,この事例では高額年俸(年俸1,700万円)が保障されている医師が残業代を請求できるかという点が問題となりました。

 

この点,1審と2審は,「残業代は年俸1,700万円の中に織り込み済み」という考えで医師側の請求を認めませんでした。

 

しかし,最高裁は「〔年俸1700万円の内訳について〕時間外労働等に対する割増賃金に当たる部分は明らかにされていなかった」ことから,「年俸について,通常の労働時間の賃金に当たる部分と割増賃金に当たる部分とを判別することはできない」ため,年俸の中に残業代は含まれてはいない。そうである以上,病院側は残業代を支払わなければならないとしました。

 

この「基本給と残業代の部分を明確に区別できない場合には固定残業代制は無効」という考えは,実は以前から固定残業代制の有効性を判断する際に用いられている判例上の基準でした。7月7日の最高裁判例は,この基準は高額年俸が保障されている医師の場合にも同様に適用されると判断した点で重要な意味がありました。

 

この最高裁の判決により,医師は広く残業代が請求できるようになる一方で,病院側としては医師に支払う残業代が青天井になるリスクが大きくなったといえます。その理由は次のとおりです。

 

まず,①当直勤務がある医師の場合,その当直時間の全てが残業時間とされ,その時間に対応した残業代を支払わなければならなくなる可能性があります。

なぜなら,医師の当直とは頻繁に誰かしらから呼び出しがあるものであり,その場合にはいつでも患者の元に駆けつけなければならない立場にあるからです。

このような場合,医師の当直時間は,仮にその医師が実際には仕事をしていなくても労働時間として扱われることになります(これを休憩時間と分けて「手待ち時間」といいます。)。

その結果,病院側は医師の当直時間について各種の割増賃金を支払わなければならないことになります(なお,当直制勤務については労働基準法41条3号という例外がありますが,これも簡単には適用できないため結局残業代の支払い義務を免れないケースが見受けられます。)。

 

また,②医師の場合,そもそもの基本給が高いため,割増率を乗じると一層残業代が高額化します。

 

さらに,③病院側で電子カルテが導入している場合,医師がカルテに書き込みを行った時間を改ざんすることは簡単ではありません。このような場合,医師側は労働時間を証明しやすいという特徴があります。

 

加えて,④病院が残業代訴訟で敗訴した場合,医師側は診療報酬請求権を差し押さえて残業代を回収することが可能です。この場合,病院側は単に残業代の支払わされるだけではなく,社会的にも大きく信用を失うことになります。

結果,病院側としては裁判で認められた残業代を実際に支払わざるを得ません。

 

以上のように,医師側から残業代を請求された場合,病院側は非常に大きな経済的負担と社会的制裁を強いられることになります。

 

ところで,残業代が問題になるのは何も医師だけではありません。看護師,薬剤師,理学療法士,作業療法士などの各種の医療従事者たちも,1日8時間,週40時間労働(一部小規模の医療機関だと週44時間)を超えれば残業代を請求できるのが基本です。

そのため,病院側はもし1件でも残業代トラブルを起こすと,次から次へと残業代の支払いに応じなければならないということになります。

 

したがって,医療従事者の残業代請求は,実は弁護士にとって結構な「鉱脈」になるのかなと考えています。

 

ただ,もし日本における全ての医療従事者たちの人件費を労働基準法の規定どおりに算出したとしたら,果たして日本の健康保険制度は維持できるのだろうか,という懸念は感じます。

なぜなら,現状,日本の医療従事者の方々が残業代を問題化しない理由は,他の職業に比べてまだしも安定した雇用が保障されているからに過ぎないと考えるからです。

 

そのため,今後日本の経済事情が暗転し,医療従事者たちの雇用の安定が脅かされた場合,その人たちは日々の生活の糧を確保するため,自らの切り札としての権利を行使する可能性は大いにあると考えます。この場合,残業代を求める医療従事者側と,その費用を健康保険料として負担する国民側との間では葛藤が生じることは免れません。

 

このような次第で,医療従事者の残業代問題は,健康保険制度全体をも揺るがす大問題になる可能性を秘めていると思います。しかも,その問題の火種は来年にも爆発するのではないかと考えたりするのです。

 

そんなときに,自分は何をできるのだろうか,そんなことを考えている年の瀬でした。

 

年末に物騒なことを書きましたが,次の一年も平和な時間になることを願うばかりです。

 

来年も当事務所をよろしくお願い申し上げます。