コラム

一方的に行った年俸減額が無効とされた事例-学究社(年俸減額)事件(東京地裁令和4年2月8日判決)-

賃金の決定方法の1つに年俸制があります。
これは、1年単位で賃金の支払額を決定する賃金形態のことをいいます。
ところで、年俸制については、年俸額を使用者側の判断で自由に決めることができるという「都市伝説」を耳にすることがあります。
しかしながら、実際の裁判例は簡単には年俸の減額を認めません。
今回は、その一例として学究社(年俸減額)事件(東京地裁令和4年2月8日判決)を取り上げます。

どのような事件だったか

本事件は、受験指導を行う進学塾を経営している被告会社が、専任講師として勤務していた原告2名に対して年俸の減額改定を行ったところ、その改定が一方的であり無効であるとして、従前との賃金との差額分について未払賃金請求を請求した事件です。
裁判所は原告2名の請求を認めました。

裁判所が認定した事実経過

裁判所が認定した事実経過は以下のとおりです。
なお、今回は原告が2名ですが、簡略化のため1名分だけ記載します。

  1. 平成28年4月1日、原告と被告との間で期間の定めのない労働契約を締結。平成30年度の賃金額は401万6000円(年俸制)とされる。

  2. 平成30年5月頃、被告から原告に対して「年俸通知書」を交付。原告は記載内容に合意する。

  3. 「年俸通知書」には、年俸の査定方法として「部門配賦後営業利益」、「能力・態度に関する評価」、「その他の目標設定」によって昇給率を定めて決定するとの記載。

  4. 令和元年5月頃、被告、原告に対し、令和元年度の年俸を399万3510円と定める「年俸通知書」を交付。原告、これに合意せず。

  5. 令和2年5月頃、被告、原告に対し、令和2年度年俸を379万9094円と通知。原告、これに合意せず。

  6. 原告、被告に対して令和元年6月以降の差額賃金の支払を求めて提訴。

裁判所の判断

裁判所は以下のとおり述べて原告の請求を認めました。

  1. 原告と被告は、「年俸通知書」の内容で年俸が改定されることについて合意している。

  2. 「年俸通知書」に記載された年俸制に関する個別合意の定めは、「被告と原告らが客観的で合理的な昇給率の定め方を合意した場合に、これに従って被告に原告らの年俸額を査定、決定する権限を付与することを合意したものと解するのが相当」

  3. 本件では、昇給率の定め方について抽象的な考慮要素を挙げるだけで、それ以上の客観的、具体的な基準について合意をしていない。そのため、被告は、上記個別合意に基づき、原告らの具体的な年俸額を査定、決定する権限を有しているとは認められない。

  4. 昇給率が定まらなかった場合の年俸額は、前年度の額のまま変更されず、次年度の年俸額は前年度と同額に定まると解するのが、当事者の合理的意思に適う。

判決に対するコメント

全般的に、年俸制をめぐる先行例に沿ったスタンダードな内容の判決だと受け取りました。
以下、「年俸の減額改定の可否」と「減額改定ができない場合の年俸額」についてコメントいたします。

年俸の減額改定の可否について

年俸額の減額の可否については日本システム開発研究所事件という先例があります(東京高判平成20年4月9日労働判例959号6頁)。
そして、同事件の判決は、使用者による年俸の減額改定の権限について、「年俸額決定のための成果・業績評価基準、年俸額決定手続、減額の限界の有無、不服申立手続等が制度化されて就業規則等に明示され、かつ、その内容が公正な場合に限り、使用者に評価決定権があるというべきである」としました。
この日本システム開発研究所事件の基準によると、年俸の減額改定が認められるためには①年俸額の評価・決定基準、②減額の限界の有無、③不服申立て手続等につき「制度」として整備され、しかも、その内容が「公正」すなわち客観的に合理的であると評価される必要があるということになります。

今回のケースでは、原告の年俸は「部門配賦後営業利益」、「能力・態度に関する評価」、「その他の目標設定」によって昇給率を定めるという程度でしか定められておらず、「制度」と言えるような明確な年俸額の決定方法は存在しませんでした。
そのため、本件で年俸の減額改定を認めなかった裁判所の判断は、先例の基準からして妥当であったと思われます。

なお、被告会社は、フローチャート方式の社内資料で年俸改定をしていたので公正性・客観的合理性には欠けないとの主張もしました。
しかしながら、その点については内部運用ルールに過ぎない(労使間の合意や就業規則上の根拠とはなっていない)ことを理由に簡単に排斥されています。

減額改定ができない場合の年俸額について

この点についても、日本システム開発研究所事件の判決に沿った判断を示しています。
すなわち、同事件の判決は「年俸について、使用者と労働者との間で合意が成立しなかった場合、使用者に一方的な年俸額決定権はなく、前年度の年俸額をもって、次年度の年俸額とせざるを得ないというべき」としています。
今回の判決も、この日本システム開発研究所事件の判断からすれば自然な結論であった考えます。

ところで、このように使用者側による年俸の減額改定が狭められると、労働者側としては増額改定はそのまま受け入れて、減額改定だけを争うということができることになります。
しかしながら、本判決は、この「不都合」について、「必要性、合理性等を備えた就業規則の制定や変更によって年俸額算定の客観的で合理的な基準を定めることによって回避することができる」と断じています。

労働者側にとっては、仮に年俸が減額されるとしても、その減額根拠や減額幅が明確に予想できないと生活設計が立てられません。
また、年俸の減額に明確な基準を求めないと、使用者側は減額改定を前提に有利な待遇で労働者を呼び込むという「優良誤認」的な求人ができてしまいます。
裁判所の厳しい判断の根底には、そのような問題意識があるものと思われます。

最後に

以上、今回の判決は被告会社による年俸の減額改定を無効としました。

この判決自体は、先例の基準に沿ったものであり妥当であると考えます。
ただ、年俸制を採用している使用者側としては、年俸制によって高額の賃金を保障している以上、自由に減額改定もできると考えがちです。
今回の判決は、そのような年俸制をめぐる使用者側と実務との認識の違いが如実に現れた事例だと感じました。

今回のケースを機会に、年俸制に対する誤解が少しでも解ければ幸いです。

今回も最後までありがとうございました。