生存権訴訟2回目期日のご報告

大変ご無沙汰しております。溝延です。

しばらく全くページを更新できなくなってしまい申し訳ありませんでした。

また,トップページにも書かせていただいたとおり,おかげさまをもちまして,現在多数のご依頼をいただいており,多忙を極めている状態となっております。

私としては,少しでも多くの方々の力になりたいと考えておりますが,現状ではこれ以上の新規受け入れは困難な状態となっております。

そのため,皆様におかれてはご不便をお掛けしますが,今しばらく時間をいただければと存じます。

 

さて,話は変わりますが,私は鹿児島県における生活保護基準引き下げに関する憲法違反訴訟の原告弁護団の一員を務めております。この訴訟が私が参加する唯一の弁護団事件です。

本日,その裁判における2回目の期日が開かれ,私も出席いたしました。

今回は市・国側から準備書面が提出され,国側の事情が一通り主張されました。

その文書のページ数たるや,実に80ページ超!!

正直,読むだけでも相当しんどくなりましたが,さすが司法官僚が作った文章だけあってなかなか隙を見せないシタタカな内容であるとの印象を受けました。

 

今回の裁判は,普通に収入を得て自活できている人には縁がない裁判です。また,一部報道があるように,生活保護利用者の方々が時として社会問題を引き起こしてしまうことは確かなことです。そのため,真面目に生活されている大多数の方々が生活保護制度に理不尽さを覚えることには,正直言って相当に理解できる部分があります。

しかし,生活保護を利用する方々というのは,大半が例えば病気であったり,怪我であったり,障害であったりなど,本人の意志によらないハンディキャップを抱えています。「人に歴史あり。」と言いますが,保護利用者に降りかかる人生の苦難は言葉にし難く,これが私だったら世の中を恨んでテロでも起こしてるレベルです。

そう考えると,慎ましく平穏に生活している保護利用者の方々には頭が下がる思いです。今回の訴訟で原告に参加されている方々は,皆,生活保護制度に深い感謝をされております。

 

日本国憲法は,そのような罪なき人々を漏らすことなく,文明国家日本の国民として自身と誇りをもてるだけの生活を,基本的人権として保障しました(もちろん,これは飽くまで理想であり,現実の社会ではフツウの感性なら色々な意味で眉をひそめる事案が多いです。)。生活保護とは,世界に誇る先進文明国家日本国の国民なら誰でも,最低限このくらいの文化的生活を送ってしかるべきだろうという全国民の理解のもと成り立っている制度です。

かつて奈良時代,聖武天皇の妻である光明皇后は悲田院・施薬院を設立し,貧民の救済に尽力したという話があります。現代日本では,国民全員の協力の下,そのような制度を常設し,かつ,維持しているわけであって,そう考えればこれは文明の一つの到達点であり,実に世界に誇るべき現象であると思います。

しかし,昨今は国の財政事情を理由に国民の社会的コストが増加し,それにもかかわらず公共サービスは向上しないということなどから,生活保護利用者に対する風当たりが強くなっております。

今回の裁判は,まさにそのような流れから生じた生活扶助費の大幅カットに対し,利用者の声なき声が呼び起こしたものでした。そのカットの割合たるや,実に平均で6.5パーセント!最大で10パーセント!!しかもこの保護費は現在進行形で削られているというのですから,利用者にとっては生きた心地がしません。

世間では消費税が8パーセントだの10パーセントだのにするだけで国民的議論になりますが,保護利用者は最後の命銭を,訳も分からない理由で削られ,それに対して文句が言えないというのです。

このことに対する理不尽な思いから,この裁判では全国で900人超もの利用者が原告として参加しております。

 

これに対する市・国側の反論としては,一言で言えば生活保護基準をどう決めようが最終的には厚生労働大臣だけが決められることなので,生活保護利用者にも裁判所にも不服をいう資格はないというものです。丁寧な言葉遣いで難解に書いてありますが,要はそれだけのことです。

実に,生活保護とは国家が社会的不適合者に与える恩恵的制度であるという視線が透けて見える主張です。実際,今回の減額処分は,一部は「有識者」,「専門家」,「第三者」の意見を取り入れつつ,残りの大半はその意見を聞きもしないで行われたものでした。今回の裁判では,この「第三者」の意見を「つまみぐい」,「良いとこどり」している点が最も強く追及されています。

これに対して,市・国側は,保護基準は厚生労働大臣が決めることなのだから,「有識者」,「専門家」,「第三者」に諮問するもしないのも大臣が決めて問題がないと言います。

しかし,かつて自分たちだkでは専門的で複雑すぎて保護基準が決められないと言って「第三者委員会」を作ったのは,紛れもなく旧厚生省であり厚生大臣だったわけです。

自分で判断できないからと言って「第三者委員会」を作ってそこに責任を押しつけておきながら,いざそこに諮問をしなかったことを追及されるやそこには法的拘束力がないというのは,マッチポンプとしか言いようがありません。

おそらく,今回の判断について厚生労働省・大臣は,「どうせ裁判所に憲法違反の判断なんかできやしないだろう。」という意識が透けて見えます。

事実,社会権をめぐる議論というのは何故か普段は憲法9条だとか戦争反対だとかやかましい護憲派も含めて議論したがりません。劣等市民の勝てない裁判のために議論するのは興味がそそらないのでしょうか。憲法上も行政法上も論点の宝庫であるのに,歯がゆい限りです。

繰り返しますが,生活保護・生存権は,日本国が自らを文明国・先進国と誇るために不可欠な制度です。全ての日本国民が自信と向上心をもてるよう国民同士で保障し合う制度です。貧民は一生うだつが上がらなくてよろしいというのは,いつの時代でもどこの国でも美徳とされません。

そのような観点から,日本国にあるべき生存権保障・生活保護基準の策定手続のあり方とは何か,という点を示し,何とか裁判所を説得して国民の権利救済に邁進したいと思います。